お芝居つれづれときどき音楽

歌舞伎のこと、音楽のこと、いろんなこと、気の向くままによしなしごとを。

20180716蓬莱竜太の劇世界@新国立劇場 小劇場

「蓬莱竜太の劇世界」と題されたトークイベントを拝聴してきました。新国立の小劇場が満席で人気の高さが伺えます。
f:id:andantepresto:20180718203910j:image
「消えていくなら朝」のセットを前にトーク。初めはその「消えていくなら朝」の話から。家族というテーマを選んだ理由について、その話をもらうまでもかなり忙しく、歌舞伎を最後にテーマが枯渇する計算で唯一残っていたもの、差し出せるものがこれしかなかった、と蓬莱さんは仰っていました。『差し出せるもの』。苦しんで書くものの方がいい舞台になると感じていて、そうやって書けるテーマの最後だった、ということらしい。(枯渇したあとの充電のしかたは気になるところでもあります)
演劇ジャーナリストの徳永京子さんが司会(講師)。その突っ込んだ分析、容赦がなくて面白かったです。蓬莱脚本の「うまさ」を取り上げて、脚本のコツ(ポイント?)はなんですか?と問い、蓬莱さんが様々な人物の視点から描くこと…というような答えに「多くの劇作家の方がそう言います。うまい答えじゃないです」的な返しに会場笑。
では蓬莱脚本のうまさは何か?分析を徳永さんが披露。主役に対抗する悪と信じていた登場人物が最後にひっくり返されて、そちら側の正義や事情が明らかになること、その正義が99%どうしで拮抗して、決してどちらかが100%にはならないこと、と表現していて、なるほど、と。こうだと思って乗っていた乗り物が違っていた、とは蓬莱さんの言葉だったでしょうか。言われてみれば赤目の転生もそういう構造でした。ミスリードに裏切られて、真実がわかるまでは違和感があった行動に全て綺麗に理由が付いて行く驚きという、一瞬にして視界が変わる快感。そこに面白さがありました。「そのうまさがあるので外からの仕事がたくさん来て、早い段階で脚本の仕事だけで食べていけるように…」的に仰る徳永さん(笑)。
劇場を出たあとも(物語のことを)考えてほしいと思っている、と蓬莱さん。赤目を見たあとはまさにそれで、ひとりで見た日は延々と考え続けたし、人と見た日はそのひとと終演後にあれこれ話したなぁと。まんまと作家の意図にハマっていたわけです。
徳永さんが蓬莱さんの仕事を中(劇団、モダンスイマーズ)と外(から依頼される仕事)に分けていて、劇団での仕事を「うまい期」「低迷期」「(第3期の命名を失念、それも面白かったのだけど)」と評していたのがおかしかったです。低迷と言っちゃうのですか!第2期は実験的なことを次々とやっていた時期らしく、蓬莱さんご自身は「混迷していた」と表現。(外向けは2期に分けるそうですが詳細は失念。低迷期も外向けにはヒットを飛ばしていた的な説明だったような?)その「低迷期」を抜け出すきっかけの事件(明らかな不利益)を蓬莱さんが赤裸々に語っていて、それ言っちゃうの!?って。でも、それがあって本当によかったと思ってらっしゃるのも伝わってきて、人生何があるかわからないなぁと。
ところで、新国立での上演作品で描いた人間像を蓬莱さんが「醜い、浅ましい」と表現した、その言葉の選び方が劇作家だなぁと。文章を書く人の、日常会話に普通は出てこない言葉が口にのぼるのを聞くのが結構好きです。日常で「浅ましい人だ」なんて言わないですからね。
2013年から始まる三部作から意図的にセリフのフィクション度を下げた、という話をされており、だからこそ「悲しみよ、消えないでくれ」を見て、過去の苛立ちを思い出して苦手だったのだな、とも。リアルな芝居への拒絶感を強く自覚させられた作品でした。現実に向き合い過ぎた時期があったからかな。リアルには救いがないことがたくさん転がっているので、フィクションには救いやうつくしさを見出したいのかも。
ただ、話を聞いていて7/20から始まる「死ンデ、イル」は少し見てみたい気になりました。あの震災がきっかけになって生まれた作品はどういうものなのか、ということと、ひとりの人間の失踪、不在によって生まれる物語であるという点に惹かれるようです。「やはり苦手だった、」となる可能性もあるので迷いましたが、結局チケットを購入。
ところで徳永さんによると、ストレートプレイよりも自然な口語の現代口語演劇、というジャンル?があるらしく、ストレートプレイ=口語だと思っていたので少し面食らいました。つまるところ「芝居がかった台詞」を排する、ということみたいです。歌舞伎が、演劇改良運動の流れで見得のような大仰さや鬘・衣裳の荒唐無稽さ、そして歌と踊りをも排していった過去があると聞きますが、対してごくごくシンプルに普通に見えるストプレもさらにそこから芝居を抜いてゆく。静かな演劇、と仰っていたかな。では、それをわざわざ舞台上に上げて見る理由とは?いったいどんなものなのか、気になります。
しかし、これ以上演劇論的なものを理解するには知識も観劇経験も足りないので、まず今日はこれぎり。

2018年5月 坂東玉三郎京丹後特別舞踊公演@京都丹後文化会館


f:id:andantepresto:20180521084633j:image
 

12時頃につきましたが、周辺で唯一?の食事処きくのやさんは満員で入れず。会場でも食べ物の販売は少し。ちらし寿司850円、大福餅120円、タルト150円等。桑饅頭もあったかな?お弁当は扱ってなさそう。別の駅で食事はすませるかお弁当買っていって待ち合いで食べるかの方が安全かもしれません。来年はそうしよう。駅から最も近いコンビニも10分かかる模様。

のぼりをひとつ発見。駅正面の道路を渡って少し右(会場とは逆方向)に進んだところ。

f:id:andantepresto:20180521085125j:image

会場には過去の舞台のポスターもあって嬉しいです。f:id:andantepresto:20180521085004j:image

緞帳はさすが「丹後織物工業組合」のクレジット。f:id:andantepresto:20180521085038j:image

口上

明るい橙色の裃、紫の着物、桜の模様。今年のカレンダーと同じ拵えでしょうか。

京丹後は3年前から。10年前くらいから来てほしいとお話があったが「…ピンと来なかったのでございます」と正直な話しぶりに思わず会場も笑いが。丹後のちりめんの話をなさったたあとに

「こうして話していると…ちりめんやさんの回し者のようですが」とか、

雪で着るのは丹後のちりめんで新しく仕立てた着物とのことで「ちりめんは年月でどうしても黄ばみがでてしまうものですが、今回のは(真新しいので)私の白粉よりも白い」

とか、ちょいちょい笑いを入れていらっしゃるときの、ちょっといたずらっぽいような表情が好きです。

 f:id:andantepresto:20180521085222j:image
言葉通り、真っ白な着物。牡丹?の帯、黒地に金、渋い色の刺繍。黒の背景に白い着物が映えます。ゆらめく蝋燭の明かりというシンプルな舞台装置と相まって、一対の美をなしています。

地唄、ということで三味線の方が唄も。音程がとても良くて言葉も聞き取りやすいことに驚きました。着物の袖と背に入った(紋を入れる箇所にあった)小さな模様はなんだったのかな、帯に合わせた模様?

動きを最大限に削ぎ落とした静かな舞踊です。ひとつひとつの小さな振りが、ゆっくりと途切れることなく続いている。しんしんと振り続ける雪のように。わずかな動きで表現されてゆくため、見る方も集中力が研ぎ澄まされていきます。クラヴィコードという、ごくごく音の小さな楽器のコンサートに行ったときと似ています。わずかな音色と変化を拾おうと、聞く側の照準が研ぎ澄まされてゆく…。

少しの表情の変化に万感の想いがひたひたと。離れてしまった愛しい人を思って寂しげな顔。愛しい人がそこに?とはっとしたときの表情、思わず傘を取り落として駆け寄る様。違った…あの人がここにいるはずがないのだ、と悲しげな顔。ひとつひとつが胸を打ちます。抑えた表現の振付だからこそ、演者の力量が問われそうな舞踊です。

葵の上

タイトルは葵の上ですが、彼女を呪って生き霊となった六条御息処が登場人物です。写真と違う打ち掛けでした。牡丹、もみじ?、藤の模様か。中の着物は写真と同じでしょうか。白地に何か模様が入っています。


f:id:andantepresto:20180521084835j:image

眠る葵の上を見つけたときに走る怨みの顔。徐々に怨みが顕になり、強まり、押さえられなくなる様。とうとう打ち掛けを脱いで白い着物になるときの、はっとするような印象深さ。能の曲を使っているからでしょうか、動きが能そのまま、というわけではないと思うのですが、踊りも能のような雰囲気、空気を感じました。

鐘ヶ岬

f:id:andantepresto:20180521084853j:image

道成寺の、見たい部分が詰まっていて感無量でした!

鐘を見上げて怨みがよぎるところ。一転して娘の無邪気な手鞠を見せたかと思えば、引き抜きで一瞬にして大人の女に変わる。白地に炎と桜の描かれた着物。安珍への怨みがつのり、鐘を見上げて決まる。鐘の上に乗ることはないのですが、道成寺の濃い部分が抽出されていて。菊之助さんの特番で玉三郎さんとの二人道成寺の映像をちらりと見たばかりだったので、あぁ目の前に本物がいる…!という想い。

 3曲踊り終えた玉三郎さん。2回目のカーテンコールかな?玉三郎さんがふっと娘みたいに微笑まれて、きゅんとしてしまいました。発売日に取ったのでとても良い席で堪能させていただきました。丹後、なかなか遠かったのですが来年も行きたいです。

七月大歌舞伎「源氏物語」の音楽(古楽)@歌舞伎座

(7/15 ダウランドの曲情報追記/7/17ダウランドの対訳へのリンク追記/7/18彌勒さん作、対訳へのリンク追加

源氏物語テノール歌手のザッカリー氏が歌われている曲名をTwitterでご本人から教えていただいたので、歌詞など載ってるサイトを調べてみました。対訳はあまり見つかりませんでしたが、クラシックファンで七月大歌舞伎見に行くとゆー奇特な方に届くといいなー!いや、クラファンでなくても曲の意味わかると楽しいです、たぶん(^^)対訳がないやつはgoogle翻訳にかけてみてください、雰囲気は何となくわかる…。
(しかしついったすごいですね…日本語ツイだったのにまさか…)

 f:id:andantepresto:20180711230406j:plain

以下、色々調べてみたんですけど、Ct.の彌勒さん(今回は指揮振ってるらしい)がなんと7/14に対訳をFacebookにUPしてくださっていたようで、それ見ると歌詞の意味が全部わかります!!わたしも観劇前に読みたかったです!

彌勒 忠史 - 【源氏物語挿入歌日本語訳】... | Facebook

歌詞は載ってないので、歌詞が欲しい方は↓のリンク集をご活用くださいませ。

テノールソロ(3曲)

◆モンテヴェルティ『オルフェオ』より"Vi ricorda o boschi ombrosi"

1607年初演、モンテヴェルディ最初のオペラ作品。オルフェオが2幕で歌うアリア、たぶんまだ妻の死を聞かされる前で、今までは苦しかったが、これから結ばれるという喜びを歌っているのかな?明るい曲調です。
(余談。オルフェオギリシャ神話ですが、死んだ妻を冥府から連れ帰ろうとして「振り返るな」と言われるが振り返ってしまい…というパターンは日本のイザナミイザナギ神話とそっくり。)

・歌詞と英訳

Monteverdi - L'Orfeo - Savall - "Vi ricorda o boschi ombrosi" [2:15] (lyrics inside) : classicalmusic

オルフェオあらすじ

モンテヴェルディ『オルフェオ』のあらすじと解説
オルフェオ 歌詞のみ 2幕

オルフェオ ActⅡ | オペラ対訳プロジェクト

・音源(Ensemble Clematisというグループの公式チャンネルらしい。ザッカリー氏が歌っていらっしゃる!)

 

◆モンテヴェルティ『Scherzi Musicali』より"Ecco di dolci raggi"

『Scherzi Musicali』は、音楽の戯れ、音楽の諧謔、等と訳されている曲集。
円熟期に入った後期のマドリガーレ集第7巻(1619年)と第8巻(1638)の間、1632年に出版されています。

・歌詞

Ecco di dolci raggi (Claudio Monteverdi) - ChoralWiki

・音源(こちらもご本人、リュート伴奏)


◆del Biado(Giuseppe Cenci) "La Mantovana"

イタリア民謡。Youtubeなどを探しても器楽のみの演奏が多いようです。
「Fuggi, Fuggi, Fuggi da questo cielo」
から始まる歌詞がもともとは付けられていたそう。

・曲解説

La Mantovana ラ・マントヴァーナ Ballo di Mantova
・歌詞

La Mantovana - Wikipedia

デュエット(カウンターテナーテノール

パーセル『インドの女王』より "Ah how happy are we"、"We the spirits of the air"

原曲は二人のテノールと二人のソプラノのためのデュエットで、カウンターテナーのアンソニー氏と歌えるようにアレンジしたそうです。

『インドの女王』は未完成の作品を彼の弟ダニエルが補筆し完成させた、パーセル最晩年の作品とのこと。AERIAL SPIRITS=大気の精霊?が歌う曲。
(原曲は男声、女声のデュエが交互に歌い交わされるみたい?)


・音源

パーセル:歌劇「インドの女王」(抜粋)(カンテーロ/ブラウン/ティアー/パートリッジ/ケイト/セント・アンソニー・シンガーズ/イギリス室内管/マッケラス) - 00028947587217 - NML ナクソス・ミュージック・ライブラリー
・歌詞

インドの女王 | オペラ対訳プロジェクト
・オペラのあらすじがちょこっと

クルレンツィスのパーセル『インドの女王』| CLASSICA JAPAN

カウンターテナー(ソロ)

筋書に載っていた1曲だけ判明、あとの2曲はわかりませんが、全て英語だったのでダウランドパーセルなのかしら?
分かる方いらしたら教えてください!

ダウランド作曲 "In darkness let me dwell"

16世紀イギリスの作曲家。リュート伴奏の曲のイメージが強いかも。深い悲しみを感じさせる歌詞です。

・歌詞対訳

ダウランド In darkness let me dwell 

ダウランド作曲 "Flow my tears"

最初の曲はこれだという情報をいただきました!(ゆきさん、ありがとうございます!)詳細は調べられてないのでとりあえずメモ。

ダウランドの残存する80曲以上の歌曲の中でも非常に有名な作品らしい。静謐で物悲しげな美しい旋律。先にリュート独奏曲「涙のパヴァーヌ」"Pavan Lachrimae"として作曲し、それに詩をつけたのがこの歌だそうです。

・歌詞対訳、音源へのリンクも

作曲家の記念日に ─ ダウランドの「流れよ 我が涙」 ( クラシック ) - ヒデンデンのいしあたま - Yahoo!ブログ

 

備忘録(器楽について)

・楽器はチェンバロ、バイオリン、リコーダー、チェロと…ガンバも?そういえばリュートは今回なかった?
・彌勒さん指揮

 

とりあえず以上!

6月衛星劇場pickup

6月がすっかり過ぎてしまいましたが録画用メモ。玉三郎さん仁左衛門さん勘三郎さん勘九郎さん七之助さん幸四郎さん梅玉さん秀太郎さん他。
仁左玉の伽羅先代萩~これってにざさま八汐ですよねわくわく。
勘三郎さん玉三郎さんの鰯賣戀曳網もあるし、七之助さんの絶間姫もあるし(*^^*)

◆上 玉兎/下 団子売(5,22)
中村勘太郎 市川猿之助 中村勘九郎

f:id:andantepresto:20180608165032j:plain

◆碁盤忠信(5)
市川染五郎(現・松本幸四郎

f:id:andantepresto:20180608165051j:plain

◆鳴神(7,18)
中村七之助

f:id:andantepresto:20180608165313j:plain

◆御名残木挽闇爭(7,18)
市川染五郎(現・松本幸四郎) 中村勘太郎(六代目勘九郎) 中村七之助

隅田川(8,26)
中村歌右衛門 十七世中村勘三郎

◆恋湊博多諷~毛剃(11,28)
片岡秀太郎

◆伽羅先代萩~御殿・床下<字幕付>(12)
坂東玉三郎 片岡仁左衛門

f:id:andantepresto:20180608165133j:plain

◆伊賀越道中双六~沼津(13)
片岡秀太郎

◆鰯賣戀曳網(14,27)
中村勘三郎 坂東玉三郎 市川染五郎(現・松本幸四郎

f:id:andantepresto:20180608165223j:plain

◆四季三葉草(1,19,25)
中村梅玉

◆お江戸みやげ(20)
中村梅玉

◆土蜘(22)
中村七之助 中村勘九郎 市川猿之助 市川團子 波野哲之(現・中村長三郎

◆御所桜堀河夜討~辨慶上使(1,25)
中村歌右衛門

◆敵討襤褸錦~大晏寺堤の場(4,29)
中村勘九郎(十八世勘三郎)


----
◆松竹演劇だより Vol.4(6)
中村七之助中村梅枝串田和美、木ノ下裕一

◆松竹演劇だより Vol.5(12,15)

◆松竹演劇だより Vol.6(28)

 

髑髏城の七人~修羅天魔~ の登場人物年齢考察

【5/24訂正】信長とお蘭の出会いが天正3年(1575年)ではなく元亀3年(1572)だったため、お蘭と夢三郎の年齢を修正しました。わかりにくいので西暦も追記。舞台見て、紗霧の年齢もやっぱり変更。

---

f:id:andantepresto:20180524153956j:image

清十郎さんにハマり過ぎて有り体に言ってどうかしています。SS書きたいとか絵描きたいとか思うものの書けないし描けないニンゲンであるので、他の人が描いた修羅天魔を漁っているんですけれど、なかなか清十郎さんの絵に出逢えないよぅ。うう。
仕方ないので(ん?)登場人物の年齢考察などしてみました。信長が生きていた頃にはまだ清十郎さんは家康に仕えていなかったようなので太夫より年下設定だと思うのですけど、太夫は清十郎さんを「さん」付けで呼んでますね。単に丁寧なだけ?半蔵が棟梁だから直接の上司はそっち、でも気が利くから家康の護衛兼近習みたいな役回りに付けられたのかな。年齢は 半蔵 > 家康> 太夫>清十郎 っぽい印象。と思ったけど半蔵と家康はたった一歳差でした(史実曰く)。ほぼ同い年。
本能寺の変天正10年) の信長48歳、お蘭との出会いは天正3年て設定でしたっけ?本能寺の変の7年前、41歳。この時のお蘭はかなり若いイメージ、16~20くらいでしょうか?

<年表>
1572 / 元亀 3年 信長(41)とお蘭(16~20?)と出会う
1576 / 天正 4年 安土城築城
1582 / 天正10年 本能寺の変 信長(47)、家康(39)、お蘭(26~30?)
1590 / 天正18年 家康(47)、お蘭(33~38?)、天魔王(年齢??)再会

清十郎さんは本能寺の変のときにまだ一人前じゃなかった(信長が自分の主君の主君という意識がなさそうなので)とすると、当時13歳以下でしょうか。とすると今は21歳くらい。もっと若い可能性もあるけど、紗霧よりはちょっと上って感じがしますがすごく上ではないような。紗霧は15歳くらいに見えるけど、安土城築城の14年前に物心ついてるから、19歳くらい?と思いましたけど、改めて舞台見るとやっぱり15、6歳に見えますね、しかし計算が合わない。14年前に3歳なら17歳ですが、2~3歳の記憶ってそんなにある?という疑問もありつつ、ギリギリあることにして17歳にしちゃいましょう。
夢三郎はお蘭と出会う前の子というのが本当なら、若くても16 19歳。もうちょっと行ってるかな…でも10代な感じがします、父親への慕い方とか見てますとね。16~19くらいかな。意外に紗霧より年下の可能性もあるのですね。 ⇒ 紗霧より下はありえませんでした。どうしても10代イメージなのでぎりぎり10代に。兵庫の方が夢三郎より年上、彼に関しては参考になるデータがないけど20~25くらい?(感覚値)

贋鉄斎は赤針斎と同年代か年下っぽい。赤針斎が紗霧の祖父だから、…生きてたら59歳とか?(適当に40足したよ)。それより若いから…40後半~50前半?
というわけで勝手に設定してみました。(家康と半蔵は史実より)

天正18年 贋鉄斎(52)、家康(47)、半蔵(46)、お蘭(33)、天魔王(?信長は生きていれば56)、兵庫(22)、清十郎(21)、夢三郎(19)、紗霧(17)

んー、わるくない線かも。お蘭がもうちょい若いような気もするけれど…。どうですか、みなさんはどう思われますか?(※カンテツは検証ネタがなさ過ぎて省いちゃいました。ごめんねカンテツ…)

ちなみに本編の感想は↓

「十代目 松本幸四郎、高麗屋三代襲名披露を語る」セブンアカデミー@アークヒルズクラブ

一か月以上ぶりに幸四郎さんのお姿を拝見してきましたー!アークヒルズクラブという会員制クラブの中の、広めの宴会場?みたいなところでの開催。場所はサントリーホールの向かいにあるビル。

司会の方が染五郎くんの美少年ネタを振ったので「僕も昔は美少年とか貴公子とかプリンスとか、全部言われてました。僕の方が言われてました」来ましたーどや感w「僕の方が!」が持ちネタになりつつありますね。

この辺りの配慮も珍しいですね。トークは司会の方がとても丁寧に準備されていて(台本があったらしい)、前回の襲名から順を追って真面目なお話を中心に。でも幸四郎さんの面白いノリには司会の方も面白く返すのでバランスが良くて楽しかったです。司会の方のお名前も控えておけばよかったですなぁ。

襲名の演目の話は結構詳しく、勧進帳の弁慶は「2回目にして大変だということがようやくわかった」「(弁慶をやる)回数は多くないと思うので一回一回最後のつもりで取り組んでいる」と。車引の松王丸は、勘九郎さんの梅王とやれてうれしい、と。博多座の伊達の十役は会社からの提案だそうで。会見で白鸚さんが幸四郎さんの政岡を褒めていたので、(演目決めの打合せなどで)言うかな?と思っていたけれど「親父からは一言もないですからね」ですって(^^)

似たようなお話はインタビュー記事等でも読んでいたとは思うのですが、ご本人の口から聞くと重みがひしひしと伝わってきて、じーんとしました。お話聞けてよかったです。

質問タイム

襲名に関することに、と一応前置きが。何か考えてくればよかった、油断していました。

大森彦七」と教えていただきました!感謝ー!!一番最近ですと1999年に2白鸚さんが演じられているようです。

http://www.kabuki.ne.jp/kouendb/sp/perform/search.php?kr=1970

Q. 道成寺をまたやってほしいのですが
A. 「道成寺は、やりません」とわざとの即答具合がおかしかったですw
「奴道成寺は踊っていきたい曲ですが」と仰ったので、奴の方はどこかで近々かかるのでしょうか?
Q. 鬼平をやってほしい
A. 祖父と叔父がやってますけどねぇ…(うーん、という感じであまりノリ気ではなさそう)

退場時には入場時と逆方向のルートを司会の方が促してくださり、配慮の細かい方で素敵でした。幸四郎さんは紋付のきちんとした格好(ご本人曰く普段着w)なのに、相変わらず面白いことを挟んでくるゆるゆるっぷりに大いに笑いました。前日は博多でお練り、この日もそのまま大阪へ打ち合わせに移動(翌日府知事と市長へ表敬訪問@ニュース)というご多忙なスケジュールの中、楽しいひとときをありがとうございました。

ワンピース歌舞伎@御園座

猿之助さんルフィを見るために御園座に行ってきました。と言いつつ(右近さんルフィの)昼の部も見てきたのですが、ワンピースに猿之助さんが出てるのを見るの自体初めてだったので、終盤に周り舞台を使って猿之助さんシャンクスがゆっくりと登場した瞬間、やっと会えた…!という感慨でいっぱいに。写真では見ていたものの生で目にすると実感が違いますね。

é¢é£ç»å

青い龍を背負った衣裳が美しく舞台に映えています。カーテンコールも猿之助さんシャンクスが最初に登場なのが嬉しい。ひたすら格好いいなぁ。ルフィのテーマカラーも赤なので、赤いシャンクスに青が加わることで違いがはっきりします。カーテンコールに立つ猿之助さん…熱いものがこみ上げます…やっと会えました…!

そして夜の部の猿之助さんルフィ。台詞のスピード感がすごい。右近さんより速くて台詞の間も詰めています。主役に引っ張られて他の人の台詞の間も短くなり、よりテンポが良くなるのですね。逆にゆっくり台詞を言う見せ場がくっきりと浮かび上がります。

f:id:andantepresto:20180517010854p:plain

3姉妹との立ち回りでサンダーソニアの背中を隠してあげるところ、ぱっと布をかけたあとに落ちないように布を前に寄せたり、宥めるように肩をさすったりぽんと軽くたたくような仕草をしていたのが印象的でした。優しいルフィ。

f:id:andantepresto:20180517011157p:plain

あと「やった」のシーンって実は今までちょっと違和感があったのですが、猿之助さんのニュアンスでなるほどとしっくり来ました。「やったぁ」と少し「ぁ」が入って、現実に違和感のない言葉運びになっているからかな。

昼の部もですが、チョッパーとルフィのシーンが本舞台に変わっていたのが嬉しかったです。この素敵なシーン、演舞場の時は↓の画像のように、花道でずっと演技して去るのも花道だったので、演舞場の3階は全く花道見えないのがざんねんで。御園座は2階後方からも花道七三が見えますが、やはり正面の本舞台でしっかり見られるのはありがたい。松竹座から変わったのでしょうか?大阪には行っていないのでわかりませんが。ちなみに本舞台では上手側にルフィ、下手側にチョッパーでした。

f:id:andantepresto:20180517011338p:plain

そういえば宙乗りのとき、右近さんルフィは黄色のサーフボード、猿之助さんは青色のサーフボードなのですね。色まで違うのは意外でした。演舞場の時は右近さんルフィしか見ていないので、黄色だったのかな?

f:id:andantepresto:20180517011705p:plainf:id:andantepresto:20180517011543p:plain

ルフィのときのカーテンコールではずっとTETOTEを口ずさんでいる猿之助さんがなんだか可愛くて、他の人に拍手を送りつつつい目は猿之助さんを追ってしまいます。やっと会えた、やっと。1月涎くり、2月高麗屋番頭さん、3月梅笑会で拝見しましたけど、やはりワンピースが復帰作ですね。名古屋じゃなかったら通いたかったなぁ…。

夜の部は下村さんイワンコフで、ミュージカル俳優さんなので歌が入って…!これかーー!オカマ役ですけど声は高くしてないタイプのオカマさんでした。浅野さんとはまた全然違って面白いです。オペラ座の怪人のパロ(曲までパロでまんまかと思いきや長調に転調するのヤメテw)とかちょいちょいミュージカルパロが入って笑いました。ちょっと下ネタ多めですけどね(^^;)

f:id:andantepresto:20180517010744p:plain

クザンの仏倒れ…これ何回見てもドキドキします…痛く…ないのですか?痛くないように倒れる技術があるのでしょうか。

f:id:andantepresto:20180517012415p:plain

右近さんルフィはすっかり本役となり頼もしいですね。ハンコックの美しさに磨きがかかっていて惚れ惚れ。ルフィももちろん板についてますが、やはり女形が似合う役者さんですねぇ。

f:id:andantepresto:20180517005404p:plain

ボンちゃん、夜の部の下村さんイワンコフの時はイワ様が革命の台詞を立て板に水のように喋ったあとに「…解散!」てぶった切るしひどいw

あと、花道からルフィと一緒に本舞台に走っていく途中で何か躓きかけた?(2階からは見えず)のかボンちゃん「危ねっ」って言って、猿之助さんルフィはもちろんルフィのままちょっと振り向いて「大丈夫か、気をつけろよ」と言っていてきゅんとしました。

2回とも2階席で見たのですが、御園座はC席でも花道七三がきちんと見えますし、B席は宙乗りも近くてとてもテンション上がりました。見やすくていい劇場です。ファーファータイム、通路すぐ横ではなかったのですが比較的通路近くだったのでハイタッチもしてもらえましたのが嬉しい♪ 演舞場ではハイタッチできる位置ではなかったので初めてかも。

そういえば夜の部、猿之助さんルフィの宙乗りではタンバリン投げていました。あとでツイッター見てみたら、小さい男の子の兄弟に向かって投げようとしたらしいですね。それがずれてしまったのであとで番頭さんがタンバリンを届けに来たとか。猿之助さん素敵ですねぇ。男の子たち、いい思い出になったでしょうねぇ。

願わくば、大きくなったときにその楽しさを思い出して歌舞伎を見に来てくれたらいいなぁ。そんなことを思った遠征でした。あぁ楽しかった!同行してくれた友はワンピース読んでる人で、キャラクターがイメージそのままに舞台に出てきていることに驚いていました。あと、このキャラがこんなに取り上げられているんだ!という意外性もあったよう。

あぁ、やっぱり舞台上の猿之助さんは素敵だなぁ。名古屋がもう少し近かったら、何回も行きたい公演でした。ありがとうございました。