一年前の夏、歌舞伎版に仕立て直された同作を見てあまりの衝撃に心に深く突き刺さった作品。それが早々に再演されると聞いて、あの衝撃を上書きしたくないと思ったのは確かです。けれど、上書かれるのではなく歴史が足されるのだ、と少し気持ちも落ち着いたころに、開幕しました。
何と言っても深津絵里さんの夜長姫、です。ぎょっとするような幼子の高い声。夜長姫は16歳ですが、10歳くらいのような気もする声。そして鬼のひくいひくい声。変幻自在な声の使い方と、あの笑顔。可愛いのに怖い笑顔に魅せられます。ああ、耳男はこの声と笑顔に捕まってしまったのだ、と。この作品の主役は耳男なのかもしれません。けれど夜長姫のための物語、彼女に捧げられた物語だ、と感じます。
天海祐希さんのオオアマ。これほどに皇子が似合うひとがいるでしょうか。皇子のときには若々しさと気品、帝になったときには一段と帝位を持つものとしての大きさ、尊大さを感じさせます。何とも言えない目の表情にやられますね。騙されるのだとしても早寝姫がうらやましい…。歌舞伎ではないので舞台写真がないんですよねぇ、買いたかったなー!!
妻夫木さんの耳男、情けないおとこ。逃げるおとこ。だれがやっても耳男はこういうおとこなのだなぁと。気のせいでしょうけれど勘九郎さんの耳男の声と重なる瞬間がほんの一瞬だけ聞こえて、不思議なものです。
古田さんのマナコもさすが。こういう役、似合いますねぇ。衣裳も演出も違うのに、耳男とマナコは歌舞伎版ともなにか「質」が似ていて、夜長姫とオオアマは別の存在のように感じました。魂が同質かどうか、というような。どっちが先かわからないけれど、転生した連なりにいるものたちと、いないものたち。オオアマは転生した兄弟くらいの連なりはあるかもしれません…夜長姫はどちらの夜長姫も完全な別個、薄い血の繋がりすらない、というような…。しかしこれは物凄く個人的な感覚でしょう。
個人的な問題でどうしても歌舞伎版の印象が強く、前半は衣裳の違いや演出の違い、増えた台詞減った台詞、というところに注意が行ってしまったのが心底勿体なかったです。記憶の出し入れができたらよいのに…。
#桜の森の満開の下
— andante@稽古中 (@andante_lento) 2018年9月4日
歌舞伎版を見た方は極力去年のことは忘れましょう。衣裳とか演出とか台詞とか。つい「ここが違うんだな」と思って物語へ没入するのが遅れます(はい私です。去年の印象が鮮烈で…)
今年のゲネ?の写真も見るの避けたのですが、むしろ見て世界観に慣れておいた方がよかったかも…?
ここからはちょっと歌舞伎版の話を。つい比較してしまった前半部では、逆に歌舞伎役者のレベルの高さも感じました。例えばわらわらと群れる鬼たち、ひとでないものの異質な存在感をやるのに慣れているのが歌舞伎役者の凄さのひとつ。チラシに顔写真入りで載らない役者たちにもその異質な存在感が染み付いているのは、歌舞伎役者の特異体質とでもいうべきものでしょうか。男性が裏声交じりの女形の声をつかうとき、「日常にはないモノ」が自然とそこには沸き起こります。歌舞伎役者がやれば歌舞伎、ということばの意味をひしひしと思い知った気がしました。あの空気感は普通の役者には真似ができません。ずるい、ずるいなあ。主役級の方々を除くと、口跡の良さや声量の圧も歌舞伎のひとの方が勝っているように感じました(声量は劇場が違うので一概には言えないかもしれません)。脇のキャラクターの立ち方や、台詞の間のうまさも。最初に見たもののインパクトが強い、というのは当然あるとは思いますが。
しかしそんな想いも吹き飛ばして、後半、特に逃げていく夜長姫と耳男、そして最後のシーンは否応なく引き込まれました。席から立ち上がれなくなる感覚。現実に戻れなくなる感覚。果たして夜長姫はほんとうに存在していたのでしょうか…?創作意欲を外に求めた耳男の幻想ではなかったか…?すべては夢、まぼろしではなかったのか…?もとよりフィクション、芝居の世界の住人であるのに、そんな想いがよぎります。
ああ、確かめに、もう一度あなたがたに逢いにゆきたい。
#桜の森の満開の下
— andante@稽古中 (@andante_lento) 2018年9月4日
パンフは1200円。A5サイズでカバンに入れやすく本棚にも並べやすいです!パンフが皆このサイズならいいのに。(新○線とか○感線とか笑)
インタビュー沢山、美術プランに衣裳プラン、稽古の写真!これは買いです。
上演記録もあって去年の歌舞伎版の写真も小さく載っています(*^^*) pic.twitter.com/MBo1m95l0F
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以下、歌舞伎版と違っている!とか同じ!と思ったところのメモ。盛大にネタバレなので未見の方は回れ右してくださいな。
(全体的に違っているけれど印象に残ったことのみ)
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・地球の歩き方が本当にあるやつ(ニューヨーク?)だった。歌舞伎版のときは桜の森?だったような記憶が?
・オオアマはイルカをしょっていない!!!歌舞伎版のイルカ(入鹿)はなんだったの…!?
・姫たちは山車に乗っていない
・紐の見立て
・小道具が全体的に少なめ。冷蔵庫に入ったヤクルトは台詞にあるけど実際には出てこないし、鬼の学校の黒板もなし
・ラ・ボエーム、ミミー!(オペラネタは挿入歌はやめてそう来たか。プッチーニ好きなの?)
・どこかにプリキュア…が台詞に入ってたような。よく聞き取れず。
・鬼がオオアマへの手紙を届け間違えない(出てくる夢を間違えるけど耳男の夢に行ってるからそのせいで謀反がバレるわけではない)
・早寝姫「少しも気が咎めませんわー」がなかった(あれ好きだったの…)
・疑似壁ドンがなかった(天海さんの壁ドン見たかったなー)
・片方無くした靴は燃やさず捨てるだけ(「ぼぉっ」が好きだったんだけどなー)
・「桜の下でつかんだと思った幸せが 背中合わせの不幸せ」はあった?記憶がないけど聞き漏らしたかなぁ。
・甍で落とされるとこで耳男の「虫もころさぬ顔して殺人未遂」がなかった?
・「モデルと〇〇には手を出しませーん」(女優じゃなかったのはなぜだろう?妻夫木さんの奥様は女優さんらしいが)(みんなほんと女優に手ぇ出してはるんですね~)
・都にチクりに行くとこで客席降り古田さん
・花道の代わりの正面の坂
・ノミを打つ音から音楽になる演出は一緒だけど鼓は出てこない(そりゃそうだ)
・桃太郎はひとりでした(そりゃそうだw)
・マナコをチクる耳男はマナコを本気で飛び蹴りしたり追いかけ回したりしない(そりゃそうだww)
・「一緒に転がるわ!」で床をゴロンゴロン転がらない夜長姫(あれもすきだったの)
・後半で桜色の布をふわーっと使うのは同じ感じ。去年はあれで花道をかけて行くのが大好きだったなぁ。
・夜長姫がしんでゆくときにすこし、海老反りではないけれどそれに近い動きがあって、もともとあったのかもしれないけれど、去年を経ての野田さんのリクエストなのかもしれないとも…、どちらなのだろう、過去のNODA MAP再演を見ている方にお尋ねしたい。
・音楽がほぼ違う(たぶん)。「私のお父さん」もウェールズ語の子守歌もなかった。(去年の感想の「音楽」参照↓)
#桜の森の満開の下
— andante@稽古中 (@andante_lento) 2018年9月4日
スタッフは照明も音楽も美術も衣裳も音響も振付もヘアメイクデザインも殺陣も歌舞伎版と同じ方々なのですね。もちろん演出も。
それなのにここまで違っていて、それでいて桜の森、です。新しく再構築する…過去の再演もそうだったのでしょうか。タイムマシンで見にゆきたい。