お芝居つれづれときどき音楽

歌舞伎のこと、音楽のこと、いろんなこと、気の向くままによしなしごとを。

2017年12月第3部@歌舞伎座

楊貴妃

冒頭は中車さんの方士が一人で踊ります。短いけれど舞踊なのだよなと、方士の手や足の動きを見ながら思いました。どなたかが「玉さまブートキャンプ」と表した今回の演目、中車さんはどのような想いで玉三郎さんのお相手を踊られたのか、お稽古はどんなだったのか、そんなことも気になってしまいます。

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さて、玉三郎さんの登場の印象的なこと。

この世のものではない美しいものを演じたら右に出るものはいないのではと思うほどに、存在はどこか現実味がなく、しかしただただ美しく、夢が漂ってくるよう。幕が下りて現実を認識するのに時間がかかる、そんな幕切れでした。

 

瞼の母

この単語だけは昔から知っていて、意味を知ったのは獅童さんがこの話の解説をテレビでしていたときでした。そういう意味だったのか、つらい…!と思ったのを覚えています。

ところで、せっかく実の母と妹が探しに来たのになぜ会わないのでしょう。やくざ稼業の息子がいてはやっぱり客商売の親と妹に迷惑がかかると思い直したからでしょうか。それでも、一目だけでももう一度会ったらいいのにと思ったけれど、もう一度会ったら、もう離れたくなくなるからなのかな。

最後に目を閉じたら浮かんでくる母の姿は、会う前の想像の母ではなくて、子ではないと拒絶した人でもなくて、忠太郎と呼んで追ってきてくれた母なのでしょうか。目を閉じればあの息子を想ってくれた母が浮かび、忠太郎と呼ぶ声が聞こえるのかもしれません。兄さんと呼ぶ妹の姿と一緒に。ああ、最後に少しは救われたのならいいな。

そんなことを思いながら帰路につく冬の夜でした。