楊貴妃
冒頭は中車さんの方士が一人で踊ります。短いけれど舞踊なのだよなと、方士の手や足の動きを見ながら思いました。どなたかが「玉さまブートキャンプ」と表した今回の演目、中車さんはどのような想いで玉三郎さんのお相手を踊られたのか、お稽古はどんなだったのか、そんなことも気になってしまいます。
さて、玉三郎さんの登場の印象的なこと。 歌舞伎座第3部、楊貴妃。これはこの世のものか…?楊貴妃の魂だからこの世のものではないのだけれども。夢幻の世界。登場の仕方で焦れ、去ってゆくときは去らないでどうかもう少しと思わせる。見ているものの心に深く深く何かを残す。 pic.twitter.com/HCsnQONviW
楊貴妃の歩き姿は独特の足運び。裾が美しく揺れて陶酔に誘われる。
— andante@稽古中 (@andante_presto) 2017年12月5日
そして二枚扇の舞。あの舞扇は相当大きいように見えた。手に持つと肘の内側あたりまである。それを、二つが寄り添って、ぶつからずに、蝶が羽ばたくようにふわりふわりと。ときに比翼の鳥のように仲睦まじく並んで羽ばたく。 pic.twitter.com/qeolfpjAPD
この世のものではない美しいものを演じたら右に出るものはいないのではと思うほどに、存在はどこか現実味がなく、しかしただただ美しく、夢が漂ってくるよう。幕が下りて現実を認識するのに時間がかかる、そんな幕切れでした。
瞼の母
この単語だけは昔から知っていて、意味を知ったのは獅童さんがこの話の解説をテレビでしていたときでした。そういう意味だったのか、つらい…!と思ったのを覚えています。
歌舞伎座3部、瞼の母。
— andante@稽古中 (@andante_presto) 2017年12月5日
萬次郎さんの、母親の情が滲み出る強い母がすごくよかった。この方の舞台での声の通りが気持ちいい。子ではない忠太郎にも涙してくれる母。あとの忠太郎の母との対面との対比がくっきりと。
兄を心配する妹児太郎さんに、梅枝さんの妹もいいなぁ。
玉三郎さんのおはま、忠太郎が俯いているときに辛さをこらえる顔を見せ、忠太郎が顔をあげるときにさっと厳しい顔を作って本心を隠す。見ている方がつらい。突き放したあとで必死に追う姿…。 #瞼の母
— andante@稽古中 (@andante_presto) 2017年12月5日
中車さん。他人の親子を羨ましく思うところも、いざ母と対面したときのやりとりも、なにもかも忠太郎でした。新聞記事で玉三郎さんが、「(中車さんが演技が)出来ているのに出来ていないって言うから、うるさいって言いました」という話を思い出して、言いたくもなるわぁと。泣かされました。 #瞼の母
— andante@稽古中 (@andante_presto) 2017年12月5日
彦三郎さんの半次郎も坂東の亀蔵さんの善三郎もよかったなぁ。このご兄弟もスカッと通る声、好みです。 #瞼の母
— andante@稽古中 (@andante_presto) 2017年12月5日
ところで、せっかく実の母と妹が探しに来たのになぜ会わないのでしょう。やくざ稼業の息子がいてはやっぱり客商売の親と妹に迷惑がかかると思い直したからでしょうか。それでも、一目だけでももう一度会ったらいいのにと思ったけれど、もう一度会ったら、もう離れたくなくなるからなのかな。
最後に目を閉じたら浮かんでくる母の姿は、会う前の想像の母ではなくて、子ではないと拒絶した人でもなくて、忠太郎と呼んで追ってきてくれた母なのでしょうか。目を閉じればあの息子を想ってくれた母が浮かび、忠太郎と呼ぶ声が聞こえるのかもしれません。兄さんと呼ぶ妹の姿と一緒に。ああ、最後に少しは救われたのならいいな。
そんなことを思いながら帰路につく冬の夜でした。