お芝居つれづれときどき音楽

歌舞伎のこと、音楽のこと、いろんなこと、気の向くままによしなしごとを。

野田版 研辰の討たれ@シネマ歌舞伎

怒涛のことばの嵐と、走るひとびと。とにかく走る、走る、走る。ああこれが野田さんの芝居なのかなと、去年桜の森を見、いま研辰をシネマで見たところの肌触りです。

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ことばで埋め尽くして、突き上げて突き上げて、そのテンションに少し疲れて、これはオチをどこに持ってくるのかな?と思い始めたところで唐突に一人の役者にスポットを当てて芝居をさせる。それまでは役者よりも言葉。もちろん役者の力があってのものですが、ことばの力というか、ことばの物量が勝っています。それを突如途切れさせて、ひとりにしずかに語らせる。役者に焦点を当て、芝居に持っていく。そういう構造なのだなぁ、なるほどなぁ。
野田さんの芝居を2つしか見ていないので、他も同じ傾向なのか、はたまたまったく異なるのかはわかりません。
 
それにしても13年前の舞台、みなさん若いですねぇ。最初の方で7染五郎さんと勘九郎さんが立会いの手本を見せるところなんか本当に速くて見えません。コマ送りして見たい。手本にしたいって研辰が言うてるのに手本にさせない心意気(^^)それを見た研辰の「若い」って台詞が役の上だけではない感じw
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獅童さんはこの頃はまだシャイな雰囲気。カーテンコールで勘三郎さんが上手に動いたので何かな?と思ったら獅童さんを紹介なさって、獅童さんは照れたような反応。先日超歌舞伎で5000人を前に堂々たる姿で大歓声を集めていたのを見たばかりだったので、なんだか新鮮。勘三郎さん、きっと喜んでいますね。うらやましく思っているかも?

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お芝居自体はほとんど、3人と群衆の劇。討たれる一人、討つ二人。とやこう言う群衆。勝手な周囲。痛烈な皮肉が見えます。流行りで言うことが変わる、その場の雰囲気で言うことが変わる群衆に押し流されてゆく登場人物たち。7染五郎さんが大変格好いい。いいお役ですね。「最近阿修羅のように活躍して…」と言われてるということは、阿修羅城の瞳の頃ですかー。

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勘九郎(当時勘太郎)さんは声が今よりずっと高いですね。弟という役柄だからでしょうか?最近の舞台では聞かない声。太い役をやるために封印なさっているのかな。とても綺麗な声でした。

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実はこれが襲名披露の公演とは知らなかったのですが、映画が始まり、祝幕を見て襲名だったのか!と。襲名にこの演目を持ってくる、その覚悟というか生き様というか。そして歌舞伎座の襲名は3か月だったことにも驚きます。3か月間、客席をいっぱいにする力がおありだったのですね。2005年5月夜の部、研辰の前の演目が玉三郎さんの鷺娘で、ああこれも見たかったなぁと嘆息。さらに2005年3月の襲名の演目は玉三郎さんとの鰯売!と、ついつい過去に思いを馳せてしまうのでした。

中村屋三代「鰯売恋曳網」 | 木挽町日録 (歌舞伎座の筋書より)