お芝居つれづれときどき音楽

歌舞伎のこと、音楽のこと、いろんなこと、気の向くままによしなしごとを。

20170808 坂東玉三郎さんトークイベント@立正大学

(8/10、ふと思い出し追記)

玉三郎さんと他お二人の方々が出てこられたとき、スクリーンに隠れた仏像に向かって一礼なさっていた。見えないところでも礼儀を貫かれる姿勢。衣装はお着物でご登場。上は濃いグレー、下は薄渋緑の袴。

何だか、今回のお話は自分が受け取ったものを整理して文章にするのが難しい。魂のこと、命のこと、時間のこと、玉三郎さんの死生観のようなものも見せて頂いたと思います。言葉にできないものを形にして書いていいのか、と迷いつつ、自分の中に残すために書きます。たぶん色々違っていると思います、ごめんなさい。
そう、「濃い人生」という言葉をまた使っていらした。何か体験をしてもそれを感じる、受け取めることが薄まって流れてしまっている、という危機感がおありなのだろうか?

最近はなんでもLINEで流れてしまう、と玉三郎さんの口からLINEということばが出る衝撃(ご本人はやっていないそう)。否定はしないけれど、(テクノロジーを)うまく使えればいいけれど、今は一番混乱している、狭間のときでは、と仰っていました。

 

対談相手の妙源寺ご住職小林順光さんは玉三郎さんのご実家と守田家両方の菩提寺というご縁なのだそう。偶然同じ菩提寺で、失礼があってはいけないからと菩提寺であることを言わないでいたら、守田家の法事に出たときにお寺の寄付の太鼓?に実家のお名前があって(楡原という日本に2家しかない珍しい苗字だとか)、実は…と打ち明けたら、お義母さまも縁をよろこんでくださったそう。

菩提寺のご住職とのことで、子供の頃のエピソードなども引き出されていました。広い境内だったのでよく玉三郎さん含めた子供たちが走り回っていて、みんなハナタレなんだけど玉三郎さんだけはそんなことがなかった、とか(笑)。玉三郎さんは太らないのはなぜかとお母さまに聞いたら、食事中もお小言付きでおなか一杯になっちゃうから太らないのではと聞いた、とか。お父上(14代守田勘弥さん)は褒めない、大変厳しい方だったと玉三郎さん。養子になったときにはお父様も50代後半だったので、教えるのを急いでいたのではないかと話されていた。ただ、立役と女形だったので教わるのはもっぱら作法などで、お役はその役をたくさんやっていらっしゃる、口もきけないような大先輩に教われるよう、手配してくださっていたのだとか。
玉三郎さんにも違う厳しさがあるのでは?と水を向けられ、同意なさっていた。やさしく、もう一回やってくれる?って30回くらいと…
(30回はちょっと辛いです、先生…)

途中でお寺つながりということで道明寺の写真が2枚スライドで。大写しにされるので「(スライドを)先に行ってください」という玉三郎さん(^^)でもファン的にはじっくり見ていたいです…!

テーマに「伝承」があったので、教えることについていろいろとお話されていた。自分のやっていることをそのまま教えることはしない。そうすると(自分の)小型しかできないから。
(近い話を別の方からも聞いたことが。見本とする誰かそのものを目指してはダメ、その人のコピーにしかならず質は落ちてしまう、と。教えることを突き詰めた方がたどり着く答えなのだろうか)

それから、道を教えることができなくなったと(能の)観世宗家が仰って、なるほどそうだな、と同意されたと。だから一極集中で教えるのではなく、間口を広げて教わりたい人みんなに教えるのだそう。
(能の)風姿花伝は本来一子相伝なのだけれど、「どうぞどうぞ」と見せてくださったと。見て読めるかは別だけれど、そうしないと伝承されなくなってしまうから、と。 

(道を教える、とは、生き方を教える、というようなことでしょうか。)

小学校はじっと机についてられないので苦手だったんだけれど、お話を聞きたいと思うような先生がたくさんいて、幸せだったと。あと、中学?か高校?は休める学校を選んだらたまたまプロテスタントの学校で、舞台をしていたので「あと何日休めるから安心して休んでいいよ」と言ってくださる、そういう(おおらかなというニュアンス?)時代だった、と話されていました。

子供の頃は広間で好きに踊っていることが楽しく、人に見られて舞台に立つのとのギャップは大きい、責任ある立場で大きい舞台に立つとあの頃に帰りたいと思うこともあるそうですが、「時間を切り裂いてきてくださる」お客様にお見せするもの、という言い方をされていて、なんと激しい言葉で舞台というものをとらえていらっしゃるのだろうと、静かな中の激しさを垣間見た思いでした。

歌舞伎以外のお仕事もなさってますね、鼓童とか、と話を振られて、「1割以下です」と。歌舞伎以外の方が取り上げられる、宣伝されるから多いように感じるかもしれないけれど、と。自分から積極的に新しいことをしよう、ではなくて、お声がかかるからお引き受けする形なのだそう。お父様からも、人から声がかかる役者になりなさい、親に役をつけてもらうようではいけないと言われてきたのだとか。

翻訳ものをやったのは、お祖父様(十三代目 守田 勘彌)が翻訳ものをやられていて、お祖父様というのは話に聞くばかりの遠い存在だったのでやってみたらわかるんじゃないか、と思ったのだそう。

住職から日蓮宗のキャンペーン(と言っていいのでしょうか?)で「いのちに合掌」というのがあり、その話を水を向けられて、

心が合って、そういう形(合掌という行動)になるのでしょうね、という趣旨を言われていて、実際に合掌をすることももちろん大切なのだけれど、心の中で合掌する、というようなことを言われていたのが大変印象に残りました。大切なのは形ではなく先に心なのだと、それがあっての行動やことばなのだと言われた気がしました。以前、歌舞伎の芸の上でも、先に気持ちが合って型があるとお話をされていて、どこか似ている部分があるなあと。

ご養父は「自分は信心深くない」と口では言いつつも一番手を合わせていた、というお話を添えられていて、何だか、そういうことなのだなぁと。

ご住職曰く、合掌には先祖に手を合わせることと今ここにいる方々に手を合わせる2つあるというお話が出たときに、(僭越ながらと前置きされつつ、)巡り巡ってどちらにもなるように思います、という趣旨で玉三郎さんがお話されて、この方の中には宗教というくくりでもなく何かずっと感じて考えていらっしゃる筋のような、流れのようなものがあるんだろうなぁと思いました。

簡単に言葉では紐解けないものを見せていただいた思いでいっぱいの1時間半でした。