お芝居つれづれときどき音楽

歌舞伎のこと、音楽のこと、いろんなこと、気の向くままによしなしごとを。

201707 歌舞伎観賞教室 一條大蔵譚@国立劇場



2017年6~9月 髑髏城の七人「鳥」

(8/6:2回目観劇分をちょいちょい追記。)(8/13:3回目分ツイート追加)

歌とダンスで敬遠してた方は、都合が許せば当日券狙いで見てください。高い確率でだいじょうぶです。芝居の中に歌とダンスが入るのが相っ当苦手(アオドクロもそれだけは違和感あったくらい)なわたし、そこだけ我慢して見るつもりだったのに、鳥はだいじょうぶでした!

(サダヲさんですね、主役のお名前間違え、すみません。。)

1回目見たときのここのネタなんだったかな。黒カツオ(??)…のタタキ…だったか、何か魚のタタキになっていたような。

叩きすぎて…ハンマーが…曲がるんですよ…

よけた後も床をがんがんたたき続けるんですよ…

「暗くて見えなかった」とか言い訳するんですよ…んなあほな。

↑ほかの方のレポ見てたら、正しくは「目覚めよ贋鉄斎ー!」だったみたい。「少年ドラマシリーズかよ」って贋鉄斎が叫んでいて、なんのことかわからなかったんですがそういうドラマがあったんですね?

少年ドラマシリーズ - Wikipedia

そういや「全力少年」も元ネタよくわかってなくて真っ先に思い浮かんだのが「全力ウサギ」の方だった。こういうやつ。ほらスコップをハンマーに変えれば、ね?

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(3回目Ver.)

↑僕のせいだー!じゃなくて、死んじゃだめだー!って叫んでた気がするのですが、サダヲさんがあまりに早口で叫んでいて何言ってるかわかんなかったので勘違いしたのかな?

↑黒ウサギだったらしい…ちゃんと兵庫のネタ引っ張ってあげたのね…って全然わかんないよ!

鳥は捨之介と沙霧の間に恋愛感情がほぼないので、太夫と蘭兵衛に恋愛(未満の)感情を持ってきたのかなあ。

↑そうだ、舞台の両サイドにもスクリーンのように投射できるようなので、そこに大写しにしたらどうだろう。(何を言ってるんだ私は)

キャラ的に一番好きなのは沙霧。なんかね、こういう子、すきなのです。鳥の沙霧と捨之助はどちらも忍者系なので、仲間、同志という印象。恋愛関係には転ばなさそうな、、どうなのかな。

(※花ではなく風が一人二役。間違いすぎ。。)

↑里の女たちの名前はわりと役者さんの名前のまんまなんですね!

おるつ⇒ルツコさん、おりえ⇒緒里江さん、とかとか。ちょっと歌舞伎座捕物帳↓を思い出す。同じようなこと考えるもんだなぁ。

演出のいのうえさんは、やはりかっこよく見せるのが上手です。新感線では定番だという冒頭のタイトルロール出るところはやはりインパクトあるし、最後の方で7人逆光で役者さんを映して、ほらこのひとたちこんなに格好いい、って言ってる気がするし、戦闘では上手い人両サイドに配置して流れるような殺陣させてみたりとか、上げきれない。かっこいい映像が脳の中にいっぱい詰まっていて、それを舞台の上にどんどん展開させていっているんだろうな。もっと見たい!とりあえず風と、ゲキシネで2011年版髑髏城も見たい!

涼しくて「過ごしやすい日」に興奮冷めやらぬ夜を過ごせた幸せな一日でした。

20170801 歌舞伎と手仕事(主に笑也さんトーク)

行ってきました、歌舞伎と手仕事。気づいた時には申込日過ぎてたけどWeb申込の延長に救われ、無事に。ツイートまとめ+追記なかんじで、メモです。

https://tokyoteshigoto.tokyo/newsevent/kabukizaevent/

あ、服装はお着物でした。が、どんな色味だったか全く思い出せず…不覚… 

「猿之介って知ってるよな?卒業したらうちのところにこいって師匠が言ってるから、まぁ考えといて」と。
ずいぶん軽いですねぇと司会の三朝さんつっこむ(笑)

卒業した後は、虎の後ろ脚に抜擢されてそれが認められたそう。そういえば、最近馬の脚をやれる人が少なくなってかけにくい演目がある、なんて話もどこかで聞いたような。

次は馬の後ろ脚で、襖?を飛び越えるシーンがあり、初日空いても5日くらいまでできなかったが馬が駆ける夢を見て、これだと思い付き、前足の人と相談してやったら一発でできて、お客様から拍手。これで役者がやめられなくなった。

立回りを教えてくださる先生の話なども。国宝級の技で、辰之助さんと初詣?かに行かれたとき、神社の階段を、一段づつくるっと回って上がって見せたと聞いたくらい。
振り上げたときに切っ先がさがっていると叩かれた。後ろの人に当たると危ないからで、歌舞伎の立ち回りは切っ先を下げない。

女形はお風呂の入り方から教わった。椅子を使わず片膝立てて座り(脚を広げないため)、シャワーもをばしゃっとかけるのではなく、こう(斜めになって)お湯を受け流す?迎える?言葉は忘れてしまいましたが、そのようなことを。
今はそういうことは教えないようで、椅子に座って脚広げて「お疲れさまでーす」ってばしゃっとやってる(笑)と。

歌舞伎役者は自分の頃(?)は800人くらいいたが今は減っていて、昔は(人数比が)ピラミッドだったが、今は特に三階さんが減っている。ここくらい(花篭)の大部屋に10人だけという時もある。

舞台の失敗談。師匠と師匠の弟さんと共演したときに台詞が急に真っ白になって飛んで「△◎×*~△◎×*」と台詞にならない音を喋って…あとで謝りにいったら師匠にはどやされ、弟さんには「あんた宇宙人だったんだねぇ」って(笑)

誕生日の日に、歩数を間違えたのかくるっと花道に踏み出すところで一歩ずれていて、綺麗に舞台下に落っこちた(怪我はなし)とか。

 

こういうの見ると、着物っていいなと思うけれどなかなか手が出せないでいます。中学校くらいで着付け習う機会があったたらいいなぁ…私立の子で中学か高校で習ったと言っていたのがうらやましかった。

学校の先生は超忙しいので外部講師を呼んでとか…ムリか…

 

染色家の方のお話

 こちらも興味深かったです。歌舞伎の演目は決まってからかかるまで期間が短いので、普通は別の職人さんに頼むところを一人何種類もの仕事を身に着け、普通1か月かかる着物を10日で、深夜まで仕事をして仕上げるのだそう。

歌舞伎座と演舞場でもライトが違って見えるので難しく、演舞場で助六がかかったときに、助六の黒い着物が演舞場の赤いライトで赤っぽく見えるので、わざと青っぽい黒で染めたとか。

藤十郎さんが襲名のとき、衣装に藤が入っていて、これ10本入れられないか、と。お客様からは10本あるとはわからないけれど見えないところにもこだわられるとか。

成田屋さんの茶色(柿色)はベンガラ?という特殊な染料を使っていて、すごく色落ちしやすいけれど鮮やかな色が出るので役者さんは承知でそれにこだわられるとか。

いろんな職人さんの手に歌舞伎は支えられているんだなぁと思いました。 

落語 高座一席(春風亭 三朝さん)

初めて生で聞いた落語も楽しかったです。落語家は舞台に出ても高座に座るまでは演じない、というようなことを勘九郎さん?が仰ってたというのをどこかで見かけましたが、確かに高座に上がるまでは、素じゃないんでしょうけど素に近いなと、役者との違いもまた面白く見ました。

夏の暑い夜、日本のものにまみれて楽しい時間を過ごせました。

20170726 坂東玉三郎さん講演会—演じるということ2017—@明治大学

玉三郎さんの明治大学での講演会。今回で4回目だそうです。
土屋学長が玉三郎さんを大好きなのが伝わって、素敵な対談でした。

話の中身は順不同です。メモなし&記憶朧げゆえ言葉もたいへん不正確、、、玉三郎さんは100倍素敵な言葉でお話されていましたので、お話のニュアンスだけだと思ってお読みください。


◆演じるということ

玉三郎さんは着物でのご登場。学長から玉三郎さん紹介のあと、最初20分は玉三郎さんの独演で。最初に、学生さん手を挙げてもらえますか、と学生さんの座っている位置を確認。学生さんを意識してくださっていることがうれしい。

「先生のお話に答えていればいいということだったけど、やはり一人でも話してくださいということになったので」と。演じるということについて語られたのち、早々に質問タイム。「質問を受けているうちに僕の持ち時間(ノルマ?)が終わりますから」って(笑)

演じるということについては、お客様は、役を通した役者の向こう側を見ている、とここ数年、気づき始めたというようなことを仰っていました。 


【対談】

技術があるのは当然として、その向こうにあるもの、技術だけあって気持ちがないのも駄目だし、気持ちがいくらあっても技術がなくてはダメ。型のとおりにやればいいのではなくて、型は使うもの。気持ちがあった上で、身体にしみ込んだ(?)その型を使う。だから稽古が大事。

◆役を演じるときの境地(八重垣姫を例に)
「姿絵を見ながら美しい絵だと思って台詞を言う、もしかすると見ているのは絵ではなくその先の勝頼なのかもしれない。」
「(死んだあの人を想って)意識が遠くにあるのが、濡衣を、もしやあの人では?と思い見て、違うと言われて死のうとして、止められて、ああやはりあの人だと、遠くにあったあの人はいなくなって目の前の人になる。(と思いながら台詞を言う。)」

その感覚を身ぶり手振り、台詞を交えながら表現してくださって。玉三郎さんが演じるときにどういう境地なのかが垣間見えた気がしました。 

◆お父さまからの教え
自分が一番まずい役者だと思ってやりなさい、と父から教わった。
そのときは、えっ、と思ったけど、(今は理解したという感じで頷かれる)。
勿論、さーっと走るまずい役者がいたら、ちょっとちょっとって直しますけどね、そこは仕事として(笑)
でも技術がまずくても心の部分は良いかもしれない。そう思ってやっています。

◆何にも分類できない
(学長)道成寺勘九郎を見ていると芝翫と良く似ていると思う。父親ではなく芝翫系。
→似ている、と頷く玉三郎さん。
(学長)けれど玉三郎さんは何系という枠じゃない。
→若い頃はそれで批判もされた。型に則ってやっているのに、型に則ってないと。
(学長)でもそれが、歌舞伎を面白くしている。◎◎系という人と、そうでない人といて。

修行がつらいとか、思ったことはないですね。いろんな方に引き上げられて、恵まれた生涯だったなと。
(学長)引き上げてくださった上の方々ももういなくなって、どう思うか、
というようなことを尋ねられ、

→そう、話ができる人がいなくなってしまった。文学を大事にする人が減って、(台詞の)てにをはを間違えても気にしない。いちいち直していたらきりがないほど。 

歌右衛門さん、17代目勘三郎さんの想い
自慢とは思わずに聞いてくださいね、と。
新橋演舞場の開場時に道成寺を踊ったときに、先代の成駒屋さん、歌右衛門さんから教わり、17代目の勘三郎さんからも教わった。
僕には言わないんだけど、
「真女形道成寺が生まれたね」と言ってくださったのを他の人が聞いていてくれて(教えてくれて)。それを聞いて、しっかりしなきゃ、と思った。
世間では色々言われているようだけど、成駒屋さんにはよく教えていただいた。どうでしたか?と聞くと、もういいよ好きにしな、と言ったあとに、ちょっと、と呼ばれて、後シテの隈取りが似合わないと立女形とは言えないから研究しておいでとか、ここがこう、と真髄を教えてくださる。そういう関係だった。
おもしろおかしく書かれた本を否定する訳じゃないんですけどね(笑)と。

◆阿古屋、道成寺の境地
(学長)阿古屋の琴責ではそこに玉三郎さんがいなくなって手だけ動いているような、道成寺の鐘入りでは本当に上に登って行ってしまうんではないかと感じた。あの時は何を考えているのか?
→鐘の上にいるときはほとんど無意識。鐘の上の足場は大変狭いので、事故がないように。落ちたら骨折してしまうなと。道成寺で鐘から落っこっちゃったら…ねぇ?
事故がないように。ようやく躍り終えた。けれど幕が閉まるまでは役のままに。勘九郎の顔に袖が当たらないように、と思いながら鐘の上にいる。

(一緒に踊っていた若手は)(鐘入りだったか?)段々盛り上がると肉体で踊ってしまう。道成寺に向かうのではなく、道成寺の踊りに向かってしまう。

どうしたらいいでしょうかと聞かれて、道成寺という枠から肉体がはみ出さないように、でもそれは小さくなることではなく、道成寺の中で、自由に。難しいもの、大曲を踊るという意識は捨てて。技術は持っているし振りも覚えているし鍛えてきているのだからと。
そうとしか言えない。だって細かく指示してたら向こう(客席)向いて一緒に踊れなくなっちゃう(笑)

阿古屋のときは、音が聞こえるとこう…(と口ずさみながら)音に入ってしまうたち。乗り移り体質(笑)だから役者になっちゃったのだと思う。

先生は褒めてくださるけど、役者になっちゃった、という感じなんです。人前でやるつもりはなかったのが、だんだんと表に出されて、引っ込みがつかなくなってしまってここまで来た。

玉三郎さんの教え方
学長「鼓童を教えている映像を見ると、ずいぶん優しい」
玉三郎「言葉は荒げないけど、実は厳しいって言われる。違うと、うーん、もう一回やって、もう一回、と」
(→笑顔で許してくれない系の先生!!実は一番厳しいタイプ…いやありがたいんですよ。心臓に悪いだけで。)

「怒鳴ると固まってしまうから、開いたままで。僕の教え方は、持っている素養(?)を取り出すことはできるかもしれないけど、修行にはならないかも…(とご自身の教え方に思案する様子)」
「固まってきたなと思ったら、じゃあ明日ね、と」
「(細かい振りなどは)もう少し上、もうちょっとこう、こう、とやりますけど」
「怒鳴ってくれた方が気が楽って言われたり」

玉三郎さんの境地をどのように教えるのか、と聞かれて、
「いろんな技術(型?)がたくさんあるけれど、それをこう(実際の台詞)やって見せても、音だけこう(片言な感じの台詞)真似してしまう。もう稽古したくない!頭のチップ取り出して差し込みたい!ってよく言ってるの(笑)」 

◆質問Time

色々な質問がありましたが、中でも学生さんの素直な質問が素晴らしかったです!お悩み相談みたいな感じで、そこから玉三郎さんがご自身のこころを取り出すみたいな回答をされていました。


大学での講演なので、学生さんの質問をなるべく取り上げるよう促してらして。
「学生相談室に玉三郎さんがいたらどうなるだろう」「玉三郎さんの言うことならわからなくても納得するんじゃないか」と学長。
わからなくても納得する、あるいはそういう言葉を受け取れるチャンスってすごく大事だと思います。
今はわからなくてもいつかわかる。そういうふうに教えてくださる方って、なかなかいらっしゃらない。

(Q=質問者、A=玉三郎さん)
Q.人と接するときに上から目線になってしまう。どうしたら治せるか。
A.自分が人より劣っている部分を見つめて向き合って、その上で人と対峙したら?こう、上から見るのではなくて(とコップを使いながら)こう、劣っているところに深く没入してから、こう見る。自分の方が人より優れてるのなら、人と付き合う必要なくなっちゃうじゃない。でも劣っている所は人に言わなくていいのよ。

この質問の流れだったか、記憶があいまいですが
「役者なんて欠点を隠して見せてるんです」「こんな紗の着物着てカッコつけてると思うかもしれないけど、欠点を隠してるの(笑)」と。

Q.共感できない役はどうやりますか?
A.共感できないものはやりません(笑) 若い時は共感できないものもやったけれど、30代を過ぎてくると、それは合わないからやらない、と。ただし、共感できる幅を広く持っていようと思っています。

Q.ベジャールと「コーデリアの死」で共演したとき、コンテンポラリーダンスは(歌舞伎と)まったく違うジャンルだと思うが、どのように取り組みましたか?
A.違うものという意識はないです。ただ、あれだけ素晴らしい振付師がいたら、素材に徹する。共感できない振りがあったら、共感できない、と伝えて直してもらう。

 Q.自分をうまく表現、プレゼンするにはどうしたらいいか。感性を磨くにはどうしたらよいか。(だいぶ意訳)
A.先に自分のことをお話しすると、私は自分を表現するのが苦手だったので、俳優ですから、役を借りて言いたいことを言うことができた。だから役者でない方だとどうしたらよいか…。
研究をするにしても何をするにしても、自分のやむにやまれぬ好きなこと(大切なもの?)を出して行ったらいいのではないか、というようなことを仰ってました。(ちょっと言葉がうまく思い出せないです)
Q.いいものを見ることも大事ですか?
A.その心構えはもちろん必要だけれど、何がいいものかというのが(難しい)。人がいいものを素直にいいと受け入れられるか。人がいいと言ったからいい、とかいいと言ったから悪い、ではなく。そのものを見られるか。
ただ、自分は良い物を見てきたから大丈夫、と驕っては駄目。
いいものというより、自分に合うもの、かもしれない。
(→この「自分に合うもの」という表現がすごくしっくり来て、はっとしました。)

それから自然のものに触れること。揚羽蝶は蜜柑の葉にしか卵を産まないのだけれど、蜜柑の葉だというのは、触覚みたいな部分でわかるそう。その細胞は人の舌の細胞と同じ。だから、なるべく加工されていない自然のものを食べることが大事。
感性は磨くのではなく、子供のときはもともと持っていたものに、たくさん色眼鏡がついていって、それを外していくことじゃないかしら。

Q.自分を律することができない。どうしたら自分を律することができますか。食べ過ぎたり、テスト勉強しないで遊んだりしちゃう。就活もあるから直したい。
A.質問に質問で返すけど、目標は?
Q.五感に正直に生きることです!
と、面白いお答え。
A.じゃあそのままでいいんじゃない。五感に正直に生きてるから食べ過ぎたり遊んだりしちゃうんでしょう。だから目標はなに?と聞いているの。
Q.目標は、…ないです!
A.目標がないから自分を律することができないのだと思う。
でも、さっき仰ってたこと(が目標とのニュアンスかな)、食べ過ぎないで、就活も勉強も、できる?
Q.はい!
と元気なお返事でした。

Q.鏡花が好きなのですが、どうしたら鏡花の言葉をあのように演じることができるのですか?
A.(前半部分、記憶が朧で省略。。)それから倒置法や、文章がどこにどうかかっているかを理解すること。不遜かもしれないけれど、鏡花の天守物語を読んだときに、言いたいことが書いてある、と思った。共感できるかどうか。

↑の質問に、お話しながら鏡花の文章、台詞を暗唱してくださり、どきどきしながら聴いていました。芝居の空気がふっと漂って、現実と虚構の狭間にいるような感覚。
玉三郎さんが回答が終わって次の質問を聞いたあとに、
「先程の学生さんの質問に何か仰りたかったのでは?」と土屋学長に振ったら、
玉三郎さんの鏡花の台詞が聞けて嬉しい」としみじみほんとに嬉しそうで、素敵だなぁと。
しかし玉三郎さんも、よくお気づきですねぇ。

Q.欧米の文化のほうが優れているという風潮をどう思いますか。
A.第一次大戦、第二次対戦以降、そういった風潮には慣れております。
日本文化を大事にしなさい!って人に言わなくていいんじゃないかしら。表に見せず、ただひたひたと好きなものを見つめていけば。

Q.玉三郎さんにとっての日本文化とは何ですか?
A.それがわかれば仕事はしておりません、

のナイスコメントで会場が沸きました。 

Q.演技の勉強をしていて、人からの評価が気になってしまう。どうしたらいいですか。
A.ひとの評価は気にするもの。人の評価が必要なかったら、一人でやればよいということになっちゃう。でも、鵜呑みにしてもいけないし反発してもいけない、バランスが難しい。
一人一人の意見を聞くと混乱するけど、お客様全体の反応は信じるべき。お客様がどんな反応をしているか、敏感でいること。

Q.土屋学長に誉めちぎられていましたが、そのときの心境は?
A.きまりが悪いです。(笑)
役者を駄目にするには一日三回誉めろ、という。誉められても褒め言葉は洗い流して信じないこと。専門家ですから(笑)
素晴らしいですね、のすを言う前の目を見て判断しなさいと教わった。
「でも役者はほめられたい」と学長のつっこみ。
もちろんほめられたい。だって終わって会って、良くないと言われたら明日舞台に立ちたくなくなる(笑)
でも若いときに大役がついてしまって、ほめられないときがあった。お客様はほめてくださるけど専門家や同僚は、白い眼ではないけれど、なんだあいつという。
そんなときには(古株の)お弟子さんに、お風呂で背中流してもらいながら、「誉めて」「すばらしかったですよ」「そんなんじゃ信じられない、もっと」って誉めてもらって次の日の舞台に出ていたときがあった。
もう一人、他の人に怒られても、大丈夫ですよって言ってくれる祖父のお弟子さんがいて、でも千秋楽の時にこことここができてなかった、と教えてくれる。誉めるのと叱るのがバランスがよい人が昔はたくさんいたんです。

Q.役者としているだけで存在感の強い、居方(いかた)の強い役者になるにはどうしたらいいか。
A.誤解を恐れずに言えば、魂の濃い人。コンピューターに囲まれて、生きている、というのが薄い人がいる。そうではなくて、濃く生きる。

というようなことを仰ってました(↑言葉は違ったかも…)。

「濃く生きるってどういうことだと思う?」と質問返しされて、
Q.信念(大事なもの?だったか)を持って色々な経験をすることかと思います。
A.経験をして、それを噛み締めることです。
と。

最後の質問、と仰いつつも2人手を挙げられていたので「せっかくだからお二人とも、時間はあるから」と仰ってくださったり。たっぷりと、すてきなお話を伺えました。

退出される際、学長と並んですっと立つと身長が高くて、女形の時にはわからないようにしていらっしゃるけれど本当に背が高いんだなぁと不思議な感じがしました。

はける直前に客席に向きなおられて一礼され、最後まで丁寧な印象の玉三郎さんでした。

2017年7月@大阪松竹座

つぶやきまとめ、備忘録。旅の想い出とともに。

さて少し落ち着いて、お芝居の話を。まずは夜の部。

昼の部。

2017年7月@歌舞伎座

つぶやきまとめ、備忘録。