お芝居つれづれときどき音楽

歌舞伎のこと、音楽のこと、いろんなこと、気の向くままによしなしごとを。

20180918児太郎さん夜話@歌舞伎座ギャラリー

ツイまとめ、すこし追記、写真1枚追加。

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博多座でのトーク幸四郎さんが秀山祭について、内容は明かさずにただ「びっくりしました…」と感慨深げに仰っていたのを思い出しました。復帰が本当に本当にうれしかったのですね。

猿翁のおじ様は初日に「必ず見に行きます」と手紙をくださって、本当にお越しくださったとか。別の機会にもお会いしたときに、その時はお二人で昔のDVDを見ながら「これやりたい、あれやりたい」とお話されていたそうで…胸がいっぱいになりました。

戸「(福助さんと玉三郎さん)どちらを見てるんですか?」との質問に

児「どちらも見てません。(玉三郎の)おじ様は見なくていいからと、何かあったら言うからと仰ってくださって。でも見てなくても汗が…」と(^^)

七之助さんの揚巻も勿論玉三郎さんに教わるそうですが、並び傾城をやらずに白玉をやったのは七之助さんと玉三郎さん、というお話をされてました。児太郎さんが並び傾城をされたときに七之助さんが白玉で、「ねぇ、大変なの?」と訊いてこられたとか(笑)。白玉の倍座っているけれど舞台が見られるので児太郎さんはあまり長いと感じないのだそう。 

さて「通り過ぎるだけ」発言に始まり今夜も絶妙に楽しい戸部さん。児太郎さんに「どんどん美しくなりますよね?」と訊いて答えに困らせたり笑

今回はちっちゃい子話はかんげん君だけでしたね。納涼出てなかったのであまり共演がなかったのかな?

そういえば夜話の依頼は源氏物語のお稽古中?に話が来て頭が回っていなくて、9月か10月と言われたのでじゃあ9月で、と受けちゃったらしく。(源氏物語のホン(最終稿?)がようやく来て…という裏話もw)平日だったので(集客が)大丈夫かなぁと思ってましたがこんなに来てくださって…と仰っていたので、発売から恐らく数分で売り切れたことを児太郎さんに伝えていただきたい、松竹さんー!

基本スタンスは終止真面目で、誠実な印象の児太郎さん。

「もっとお稽古します」、シンプルですけどめちゃくちゃストイックじゃありませんか?なんだか、すごいなぁ…

ところが最後に…

しかも大きく書いちゃったサインをすぐに閉じて見えないようにして、他のひとのようにサインの横で記念撮影はしないという笑 

ちょっとお茶目な一面も拝見でき、全体的に心がじーんとあたたまる夜話でした。雪姫という大役をお勤めのさなかの夜話出演、ありがとうございました。

20180909笑三郎さん夜話@歌舞伎座ギャラリー

ツイートまとめ、写真1枚追加しました。にこにこ笑顔が素敵な笑三郎さん夜話に行って来ました。

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NARUTOのお話

本編では男性設定だったのが続編?などでどっちつかず設定に変化していったとか。サスケの兄じゃなかったの!??

KAWAII KABUKI

伊達の十役

「伊達の十役は主役以外の方々も大変ですか?」との問いに「大変です」と即答してらっしゃいました。舞台裏はたいへんなのでしょうね。

 

2018年9月「贋作 桜の森の満開の下」@東京芸術劇場プレイハウス

一年前の夏、歌舞伎版に仕立て直された同作を見てあまりの衝撃に心に深く突き刺さった作品。それが早々に再演されると聞いて、あの衝撃を上書きしたくないと思ったのは確かです。けれど、上書かれるのではなく歴史が足されるのだ、と少し気持ちも落ち着いたころに、開幕しました。

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何と言っても深津絵里さんの夜長姫、です。ぎょっとするような幼子の高い声。夜長姫は16歳ですが、10歳くらいのような気もする声。そして鬼のひくいひくい声。変幻自在な声の使い方と、あの笑顔。可愛いのに怖い笑顔に魅せられます。ああ、耳男はこの声と笑顔に捕まってしまったのだ、と。この作品の主役は耳男なのかもしれません。けれど夜長姫のための物語、彼女に捧げられた物語だ、と感じます。

天海祐希さんのオオアマ。これほどに皇子が似合うひとがいるでしょうか。皇子のときには若々しさと気品、帝になったときには一段と帝位を持つものとしての大きさ、尊大さを感じさせます。何とも言えない目の表情にやられますね。騙されるのだとしても早寝姫がうらやましい…。歌舞伎ではないので舞台写真がないんですよねぇ、買いたかったなー!!

妻夫木さんの耳男、情けないおとこ。逃げるおとこ。だれがやっても耳男はこういうおとこなのだなぁと。気のせいでしょうけれど勘九郎さんの耳男の声と重なる瞬間がほんの一瞬だけ聞こえて、不思議なものです。

古田さんのマナコもさすが。こういう役、似合いますねぇ。衣裳も演出も違うのに、耳男とマナコは歌舞伎版ともなにか「質」が似ていて、夜長姫とオオアマは別の存在のように感じました。魂が同質かどうか、というような。どっちが先かわからないけれど、転生した連なりにいるものたちと、いないものたち。オオアマは転生した兄弟くらいの連なりはあるかもしれません…夜長姫はどちらの夜長姫も完全な別個、薄い血の繋がりすらない、というような…。しかしこれは物凄く個人的な感覚でしょう。

個人的な問題でどうしても歌舞伎版の印象が強く、前半は衣裳の違いや演出の違い、増えた台詞減った台詞、というところに注意が行ってしまったのが心底勿体なかったです。記憶の出し入れができたらよいのに…。

ここからはちょっと歌舞伎版の話を。つい比較してしまった前半部では、逆に歌舞伎役者のレベルの高さも感じました。例えばわらわらと群れる鬼たち、ひとでないものの異質な存在感をやるのに慣れているのが歌舞伎役者の凄さのひとつ。チラシに顔写真入りで載らない役者たちにもその異質な存在感が染み付いているのは、歌舞伎役者の特異体質とでもいうべきものでしょうか。男性が裏声交じりの女形の声をつかうとき、「日常にはないモノ」が自然とそこには沸き起こります。歌舞伎役者がやれば歌舞伎、ということばの意味をひしひしと思い知った気がしました。あの空気感は普通の役者には真似ができません。ずるい、ずるいなあ。主役級の方々を除くと、口跡の良さや声量の圧も歌舞伎のひとの方が勝っているように感じました(声量は劇場が違うので一概には言えないかもしれません)。脇のキャラクターの立ち方や、台詞の間のうまさも。最初に見たもののインパクトが強い、というのは当然あるとは思いますが。

 

しかしそんな想いも吹き飛ばして、後半、特に逃げていく夜長姫と耳男、そして最後のシーンは否応なく引き込まれました。席から立ち上がれなくなる感覚。現実に戻れなくなる感覚。果たして夜長姫はほんとうに存在していたのでしょうか…?創作意欲を外に求めた耳男の幻想ではなかったか…?すべては夢、まぼろしではなかったのか…?もとよりフィクション、芝居の世界の住人であるのに、そんな想いがよぎります。

ああ、確かめに、もう一度あなたがたに逢いにゆきたい。

 

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以下、歌舞伎版と違っている!とか同じ!と思ったところのメモ。盛大にネタバレなので未見の方は回れ右してくださいな。

(全体的に違っているけれど印象に残ったことのみ)

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地球の歩き方が本当にあるやつ(ニューヨーク?)だった。歌舞伎版のときは桜の森?だったような記憶が?

・オオアマはイルカをしょっていない!!!歌舞伎版のイルカ(入鹿)はなんだったの…!?

・姫たちは山車に乗っていない

・紐の見立て

・小道具が全体的に少なめ。冷蔵庫に入ったヤクルトは台詞にあるけど実際には出てこないし、鬼の学校の黒板もなし

ラ・ボエーム、ミミー!(オペラネタは挿入歌はやめてそう来たか。プッチーニ好きなの?)

・どこかにプリキュア…が台詞に入ってたような。よく聞き取れず。

・鬼がオオアマへの手紙を届け間違えない(出てくる夢を間違えるけど耳男の夢に行ってるからそのせいで謀反がバレるわけではない)

・早寝姫「少しも気が咎めませんわー」がなかった(あれ好きだったの…)

・疑似壁ドンがなかった(天海さんの壁ドン見たかったなー)

・片方無くした靴は燃やさず捨てるだけ(「ぼぉっ」が好きだったんだけどなー)

・「桜の下でつかんだと思った幸せが 背中合わせの不幸せ」はあった?記憶がないけど聞き漏らしたかなぁ。

・甍で落とされるとこで耳男の「虫もころさぬ顔して殺人未遂」がなかった?

・「モデルと〇〇には手を出しませーん」(女優じゃなかったのはなぜだろう?妻夫木さんの奥様は女優さんらしいが)(みんなほんと女優に手ぇ出してはるんですね~)

・都にチクりに行くとこで客席降り古田さん

・花道の代わりの正面の坂

・ノミを打つ音から音楽になる演出は一緒だけど鼓は出てこない(そりゃそうだ)

・桃太郎はひとりでした(そりゃそうだw)

・マナコをチクる耳男はマナコを本気で飛び蹴りしたり追いかけ回したりしない(そりゃそうだww)

・「一緒に転がるわ!」で床をゴロンゴロン転がらない夜長姫(あれもすきだったの)

・後半で桜色の布をふわーっと使うのは同じ感じ。去年はあれで花道をかけて行くのが大好きだったなぁ。

・夜長姫がしんでゆくときにすこし、海老反りではないけれどそれに近い動きがあって、もともとあったのかもしれないけれど、去年を経ての野田さんのリクエストなのかもしれないとも…、どちらなのだろう、過去のNODA MAP再演を見ている方にお尋ねしたい。

・音楽がほぼ違う(たぶん)。「私のお父さん」もウェールズ語の子守歌もなかった。(去年の感想の「音楽」参照↓)

201807 死ンデ、イル。(B)@東京芸術劇場イーストシアター

恐る恐る、見に行ってみました。

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結末の突如ポジティブな方向への転換は少し無理矢理に感じました。お芝居における主人公の絶望(というと大げさかもしれない)の時間が長いからでしょうか。99%がつらい時間で、最後の1%で力を勝ち取るというような。強い飛躍。しかし前作(「悲しみよ、消えないでくれ」)よりは苦手さは少なかったです。それは結局、その無理矢理なポジティブさのおかげかもしれません。チラシをよくよく見ると白抜きで「光れ。」と書いてあり、印象的な中央のタイトル「死ンデ、イル。」の方に目を奪われがちですが、「光れ。」にポジティブな結末は暗示されていたのかもしれません。
最後の最後の場面にすべてを集約させて、作者はこの絵が見えていたのだろう、もしくは描きたかったのだろうな、と思わせるところは「悲しみよ、~」と少し構造が似ています。

初めは、胡散臭いルポライターを嫌なやつだと思い、色々と炙り出されるうちに(見ている自分の)嫌悪対象が変わってゆき、最後にまたぐるりと戻るのが面白かったです。結局みな、触られたくない後ろ暗いことがある。というか、明確に後ろ暗いのは男たちばかりですね、そう言えば。対になる女性たちはただただそのことに怒っている。炙り出されるうちに「自分のあの事も聞かれるのでは」という素振りを誰も見せないのが少し愚かですね。自分は抉られないという自信はどこからくるのか。ただ愚鈍なのか。
お姉さんの旦那の行動が気持ち悪くてどうしようかと思ったのですが、ひとつ勉強になったことは、男は本当に酔ってるとは限らない「酔ったふりもする」生き物だということ。(酔ったからって緩みやがってコイツうっとうしい…)、などと手心を加えずに、迷わず蹴り上げていいんですね、よーし、覚悟しとけよ。

さて意外なほどに「悲しみよ、消えないでくれ」で見た役者さんの顔を覚えていました。TVも含めて役者さん、というか人の顔が覚えられないのですが、あの小さい空間で濃密な時間を見届けると嫌でも1回で覚えるらしい。(べつに嫌ではないの、言葉の綾)
ルポライターも体育の先生も叔父さんも、どこか前のキャラクターと共通項がある気がしてきます。先入観か、やはりひとりのひとが醸し出す雰囲気を全く変えるのは難しいのか。真逆なキャラではないですからね。
ルポライターと叔父さんがWキャストで、私が見たのはBパターン(ルポライター:小椋毅、叔父:古山憲太郎)だったのですが、この作品、B見るとAも見てみたくなりますね。逆も然りでしょう。演者が変わることでキャラクターは変わるのか変わらないのか。気になって仕方ないです。

ひとつだけ、最後に明かされる七海の姉の行動の心理が理解できませんでした。「失踪の理由が綺麗すぎる」から書き置きを秘密に?意味がよくわからなかった。夫のこと、ほんとうのことを炙り出したかったとか?しかしそうも思えないしなぁ。全て嫌になって妹にいなくなってほしかった、とか、こんな理由でいなくなった妹が許せなくなった、とかの方がしっくり来るかも。

脇にそれるけれど「叫ぶのは呪い」というのがちょっと意外な見解。叫びはエネルギーを消費してゆくので呪いにはならずにすり減ってゆく気がして。あるいは緊張やストレスを破るもの。発散するもの。呪いは、もうすこしどろりと溜まってゆくものな気がします(完全に感覚的な私見)。まぁ、叫び続けたら溜まっていくのかもしれません。

ちなみにアフターイベントの朗読つきの日。前作は朗読も込みで物語が完結した印象を受けましたが(朗読なしだとどういう気持ちで見終わるのだろう)、今作は一度きちんと作品が終わり、あくまで後日談に見えたのがよりよかったです。前回の朗読もかなり好きでしたけども。絵本を後日談になぞらえて見せる手法はかなり面白いです。童話のチョイスがまた上手いのです。うまくハマる童話をどうやって探してくるのでしょう。

最後に。
口悪いし拗ねてて愛想ないけど、なんだかんだ言って実は徐々に心を砕くようになっていそうな叔母さんが最後には結構好きになっていました。
しかし先生、後日談(朗読)で家に来てたけど、さすがに来れなかろうよ?そこはまぁ、いてくれないとね、小さなHappyEndの締まりがよくないからね。

あ、あと。芝居中ずっと高校生にしか見えなかった七海役の方が、カーテンコールに立った瞬間おとなの女性に見えてはっとしました。21歳だそうだから役に近い年齢ですけど。まだ高校時代の記憶はリアルな手触りとともに持っているのでしょうねぇ。

8月衛星劇場pickup

8月衛星劇場録画メモ。玉三郎さん勘九郎さん七之助さん幸四郎さん今月は仁左衛門さんがいらっしゃらいませんね。
玉三郎さんも1作品だけ、前に録画している演目な気も。他も結構録画済のが。気になるのは愛陀姫と蜘蛛絲梓弦くらいかなぁ。解約するか悩みます…

 

特選歌舞伎~昭和の舞台より~
◆伽羅先代萩~花水橋・御殿・床下
2日(木) 後 4:00
14日(火) 後 4:00
中村歌右衛門 實川延若 七世中村芝翫 十七世中村勘三郎

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◆伽羅先代萩~対決・刃傷
3日(金) 後 4:45
15日(水) 後 4:00
三世河原崎権十郎 市川海老蔵(十二世團十郎) 坂東彦三郎(現・楽善) 大谷友右衛門 市村家橘 市村羽左衛門

◆「歌舞伎NEXT 阿弖流為アテルイ〉」*
3日(金) 前 8:00
25日(土) 後 6:15
市川染五郎(現:松本幸四郎) 中村勘九郎 中村七之助

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◆門出二人桃太郎
3日(金) 後 4:00
8日(水) 後 4:30
20日(月) 後 5:30
中村勘太郎 中村長三郎 中村勘九郎 中村七之助 市川染五郎(現・松本幸四郎)  

◆新作歌舞伎「NARUTO-ナルト-」上演記念特番
4日(土) 後 4:45
5日(日) 前 8:00
8日(水) 後 6:45 

◆梅雨小袖昔八丈~髪結新三
6日(木) 後 4:00
31日(金) 後 4:00
十七世中村勘三郎 尾上梅幸 七世中村芝翫 中村勘九郎(十八世勘三郎) 市村羽左衛門 十三世片岡仁左衛門

 

◆蜘蛛絲梓弦
7日(火) 後 5:00
20日(月) 後 4:00
市川亀治郎(現・猿之助) 中村勘太郎(現・勘九郎)

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◆野田版 愛陀姫
8日(水) 後 5:15
30日(木) 後 5:00
中村勘三郎 中村七之助 中村勘太郎(現・勘九郎)  

◆忍夜恋曲者~将門*
9日(木) 後 4:00
坂東玉三郎

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竜馬がゆく~風雲篇*
9日(木) 後 5:00
市川染五郎(現・松本幸四郎) 市川亀治郎(現・猿之助)

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◆東雲烏恋真似琴
10日(金) 後 4:00
27日(月) 後 4:00
中村勘太郎(現・勘九郎) 中村七之助 坂東巳之助 

◆源平布引滝~義賢最期
13日(月) 後 4:45
29日(水) 後 4:00
片岡愛之助 中村獅童 

◆博奕十王*
15日(水) 後 5:15
23日(木) 後 4:00
市川猿之助 

◆佐倉義民伝*
17日(金) 後 4:00
松本幸四郎(現・白鸚)  坂東三津五郎 市川染五郎(現・幸四郎) 

◆梅ごよみ
21日(火) 後 4:00
市川染五郎(現・松本幸四郎) 中村勘九郎

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漢人韓文手管始~唐人話
22日(水) 後 4:00
中村七之助

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◆松竹演劇だより Vol.9
14日(火) 後 6:00
17日(金) 後 5:45

◆松竹演劇だより Vol.10
28日(火) 後 6:00

 

7月衛星劇場pickup

もう7月も後半ですが、録画用自分メモ。仁左衛門さん幸四郎さん染五郎くん白鸚さん勘九郎さん七之助さん17勘三郎さん扇雀さん梅玉さん秀太郎さん獅童さん。
昭和の舞台特集も録画しておこ。ゲキシネは乱鶯。
今月は玉三郎さんがいらっしゃらない。

【昭和の舞台特集】
◆御存鈴ヶ森
2日(月) 後 5:30
17日(火) 後 4:45
27日(金) 後 4:00
八世松本幸四郎(初代白鸚) 十七世中村勘三郎

◆操り三番叟・年増・供奴
3日(火) 後 4:00
12日(木) 後 4:00
23日(月) 後 4:00
實川延若 七世中村芝翫 中村富十郎

◆男女道成寺
4日(水) 後 5:15
9日(月) 後 5:30
19日(木) 後 4:00
七世中村芝翫 中村富十郎 中村児太郎(現・福助) 中村橋之助(現・芝翫

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◆元禄忠臣蔵~大石最後の一日
2日(月) 後 4:00
13日(金) 後 4:00
31日(火) 後 4:00
松本幸四郎(現・白鸚) 市川染五郎(現・松本幸四郎) 松本金太郎(現・市川染五郎) 片岡仁左衛門

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◆箱根霊験誓仇討
4日(水) 後 4:00
20日(金) 後 4:00
30日(月) 後 4:00
中村勘九郎 中村七之助

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◆源平布引滝~実盛物語
5日(木) 後 4:00
9日(月) 後 4:00
25日(水) 後 4:15
片岡愛之助 上村吉弥 市川笑三郎

◆雨の五郎
5日(木) 後 5:30
23日(月) 後 5:15
中村獅童

◆暗闇の丑松
11日(水) 後 4:00
尾上菊五郎 中村福助 市村萬次郎 坂東八十助(十世三津五郎) 坂東彦三郎(現・楽善)

◆艶紅曙接拙~紅翫
12日(木) 後 5:15
30日(月) 後 5:15
中村勘九郎 中村七之助 中村扇雀

◆盲長屋梅加賀鳶
16日(月) 後 4:00
24日(火) 後 4:00
松本幸四郎(現・白鸚) 片岡秀太郎 中村吉右衛門

◆扇獅子
16日(月) 後 5:45
24日(火) 後 5:45
中村梅玉

◆釣女
17日(火) 後 4:00
26日(木) 後 5:15
市川染五郎(現・松本幸四郎

芦屋道満大内鑑~葛の葉
18日(水) 後 4:45
26日(木) 後 4:00
中村扇雀

◆神楽諷雲井曲毬~どんつく
19日(木) 後 5:00
31日(火) 後 5:30
市川團十郎 坂東三津五郎 中村梅玉 中村魁春 中村福助 坂東巳之助 片岡仁左衛門

◆松竹演劇だより Vol.7
10日(火) 後 6:00
18日(水) 後 6:00

◆松竹演劇だより Vol.8
27日(金) 後 6:00

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ゲキシネ 乱鶯
21日(土) 後 7:00

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20180716蓬莱竜太の劇世界@新国立劇場 小劇場

「蓬莱竜太の劇世界」と題されたトークイベントを拝聴してきました。新国立の小劇場が満席で人気の高さが伺えます。
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「消えていくなら朝」のセットを前にトーク。初めはその「消えていくなら朝」の話から。家族というテーマを選んだ理由について、その話をもらうまでもかなり忙しく、歌舞伎を最後にテーマが枯渇する計算で唯一残っていたもの、差し出せるものがこれしかなかった、と蓬莱さんは仰っていました。『差し出せるもの』。苦しんで書くものの方がいい舞台になると感じていて、そうやって書けるテーマの最後だった、ということらしい。(枯渇したあとの充電のしかたは気になるところでもあります)
演劇ジャーナリストの徳永京子さんが司会(講師)。その突っ込んだ分析、容赦がなくて面白かったです。蓬莱脚本の「うまさ」を取り上げて、脚本のコツ(ポイント?)はなんですか?と問い、蓬莱さんが様々な人物の視点から描くこと…というような答えに「多くの劇作家の方がそう言います。うまい答えじゃないです」的な返しに会場笑。
では蓬莱脚本のうまさは何か?分析を徳永さんが披露。主役に対抗する悪と信じていた登場人物が最後にひっくり返されて、そちら側の正義や事情が明らかになること、その正義が99%どうしで拮抗して、決してどちらかが100%にはならないこと、と表現していて、なるほど、と。こうだと思って乗っていた乗り物が違っていた、とは蓬莱さんの言葉だったでしょうか。言われてみれば赤目の転生もそういう構造でした。ミスリードに裏切られて、真実がわかるまでは違和感があった行動に全て綺麗に理由が付いて行く驚きという、一瞬にして視界が変わる快感。そこに面白さがありました。「そのうまさがあるので外からの仕事がたくさん来て、早い段階で脚本の仕事だけで食べていけるように…」的に仰る徳永さん(笑)。
劇場を出たあとも(物語のことを)考えてほしいと思っている、と蓬莱さん。赤目を見たあとはまさにそれで、ひとりで見た日は延々と考え続けたし、人と見た日はそのひとと終演後にあれこれ話したなぁと。まんまと作家の意図にハマっていたわけです。
徳永さんが蓬莱さんの仕事を中(劇団、モダンスイマーズ)と外(から依頼される仕事)に分けていて、劇団での仕事を「うまい期」「低迷期」「(第3期の命名を失念、それも面白かったのだけど)」と評していたのがおかしかったです。低迷と言っちゃうのですか!第2期は実験的なことを次々とやっていた時期らしく、蓬莱さんご自身は「混迷していた」と表現。(外向けは2期に分けるそうですが詳細は失念。低迷期も外向けにはヒットを飛ばしていた的な説明だったような?)その「低迷期」を抜け出すきっかけの事件(明らかな不利益)を蓬莱さんが赤裸々に語っていて、それ言っちゃうの!?って。でも、それがあって本当によかったと思ってらっしゃるのも伝わってきて、人生何があるかわからないなぁと。
ところで、新国立での上演作品で描いた人間像を蓬莱さんが「醜い、浅ましい」と表現した、その言葉の選び方が劇作家だなぁと。文章を書く人の、日常会話に普通は出てこない言葉が口にのぼるのを聞くのが結構好きです。日常で「浅ましい人だ」なんて言わないですからね。
2013年から始まる三部作から意図的にセリフのフィクション度を下げた、という話をされており、だからこそ「悲しみよ、消えないでくれ」を見て、過去の苛立ちを思い出して苦手だったのだな、とも。リアルな芝居への拒絶感を強く自覚させられた作品でした。現実に向き合い過ぎた時期があったからかな。リアルには救いがないことがたくさん転がっているので、フィクションには救いやうつくしさを見出したいのかも。
ただ、話を聞いていて7/20から始まる「死ンデ、イル」は少し見てみたい気になりました。あの震災がきっかけになって生まれた作品はどういうものなのか、ということと、ひとりの人間の失踪、不在によって生まれる物語であるという点に惹かれるようです。「やはり苦手だった、」となる可能性もあるので迷いましたが、結局チケットを購入。
ところで徳永さんによると、ストレートプレイよりも自然な口語の現代口語演劇、というジャンル?があるらしく、ストレートプレイ=口語だと思っていたので少し面食らいました。つまるところ「芝居がかった台詞」を排する、ということみたいです。歌舞伎が、演劇改良運動の流れで見得のような大仰さや鬘・衣裳の荒唐無稽さ、そして歌と踊りをも排していった過去があると聞きますが、対してごくごくシンプルに普通に見えるストプレもさらにそこから芝居を抜いてゆく。静かな演劇、と仰っていたかな。では、それをわざわざ舞台上に上げて見る理由とは?いったいどんなものなのか、気になります。
しかし、これ以上演劇論的なものを理解するには知識も観劇経験も足りないので、まず今日はこれぎり。