お芝居つれづれときどき音楽

歌舞伎のこと、音楽のこと、いろんなこと、気の向くままによしなしごとを。

20171212玉三郎さんトークショー@山野楽器銀座本店

CD「邂逅」発売記念のトークショーに。司会はCDをプロデュースした高橋まさひとさん。玉三郎さんは濃いグレー地にストライプのスーツ。同色系の細目のネクタイ(白い模様入り)、といういでたちでご登場。

(でも玉三郎さんの弁天小僧はレア過ぎて、有名な文句だけど聞きたいと思ってしまった私。)

越路さん追悼コンサート

「2月だか3月か歌舞伎座幸四郎さんと一緒で、何をするのと聞いたら話をすると。でも越路さんの思い出を話すだけでは時間が足りない(余ってしまう)。」

「28日が俳優祭の日で、俳優祭を欠席するわけにはいかないから、ちょっとだけ出演して。」(コンサートは幸四郎さん28日夜、玉三郎さんは29日夜にご出演。幸四郎さんは俳優祭は昼の部だけ、模擬店と輝夜姫で「謎の男」としてちょこっと出演してらしたみたいですね、たしか。)

僕からは歌いますとは言えないんです、とも仰っていました。

「宝塚の想い出としてもう一曲、宝塚の皆さんと歌うことを提案しました。1曲歌ってくださいとお願いされたのに結局2曲歌います、ということに(笑)。」

ペギー葉山さんとはコンサートで初めてで、それまですれ違いもしなかったそうです。玉三郎さんの手を握って、「歌い継いで行ってください」と仰るので「一緒に歌っていきましょう」とお伝えしたそう。「あのあと亡くなられてしまったけれど…」と少しさみしげに。83歳だったのですね。

生音へのこだわり

ヤマハホールのコンサートでも、PAを極力なくして、楽器の持つ本来の音が届くようにと玉三郎さんが要望されたそう。
「空間の返りで自分の声量をコントロールすることが染みついているので、(スピーカーで大きな音で)返りがあると、それがお客様に届いている響きだと勘違いして、こんなふうに(小さい声でワンフレーズ歌う玉三郎さん)してしまうんです。」と。生の声で勝負する舞台人の気質をひしひしと感じます。

高橋さんから「歌舞伎座に見に行って、生音でいつも踊ってらっしゃるのだなあと。テンポはどうなるんですか?」との問いかけに、
「速めたいときは少し速めに足踏みを、遅くしたいときにはもたれると(楽器も)もたれてついてくる。立三味線が速くなりやすい人なのか遅くなりやすい人なのか理解しておくことが大事。速くなる人なら、2番手に『引っ張って』と言っておく。」のだそうです。なるほど…!アンサンブルのよう。

「〇〇ちゃん速くなるたちでしょう?」(たぶんバンドのどなたかのことかと)と仰り、楽器が変わっても、聴き取り、感じ取りの敏感さは変わらないのだなあと驚きました。「技術がある人は速くなりやすいんだけどね」とフォローも忘れない玉三郎さん。 

良い歌とは

トニーべネットやナトゥキングコールを引き合いに出され、良い歌は何が違うかを語ってらっしゃいました。(曲名も仰ってたのですが覚えられず無念…) →tama☪︎さんよりそれぞれ「いそしぎ」「アンフォゲッタブル」と教えていただきました!感謝!

曲を聴いたあとに(聴き手に)何が残るかを自分なりに考えている、とも。

(高)「玉三郎さんの歌はすこし引いて第三者が「こんなことがあった」という風に歌っているように感じました」

(玉)「男が女の歌を歌うのは難しいんです。引いたところで「こういうことがあった」と歌うと、べたべたせず、いやらしくならない。越路さんも男役でらしたから、少し引いたところで歌うことができたのではないでしょうか。」

語り部のスタンスですね。

スターダストを例に口ずさみながら、「(オケの)アレンジでも聴き終わりに何が残るか、曲をよく理解してオーケストラがついている。あの黄金時代にしかなかったもの」というようなことを仰っていました。

今度のNHKホールのコンサートはオケが26人と!豪華! 行ったことのないホールなので音響がわかりませんが、楽しみです。

「愛と哀しみのルフラン」

(高)「岩谷さんが一番おつらいときに書かれた本で、人生は哀しみのルフラン、と書いてらっしゃるのだけれど、あとがきで玉三郎さんが『人生は出会いと喜びのルフラン』と書いているのを大学時代に読んで感激した。」とのエピソード。
(玉)「越路さんは若くして亡くなられたけれど、ああいった華やかな職業は、そういうのもありかな、と思うんです」

華やかに開いて、ぱっといなくなる、というような、もう少し表現は違ったのですが、玉三郎さんの死生観が垣間見えたような気がいたしました。この本は読んだことがないので、読んでみたいです。

ルフラン=フランス後でリフレイン(refrain)と同じ意味だそう。愛と哀しみを繰り返していく、ということでしょうか。切ないタイトル。 

岩谷(時子)さん「毛皮を着なさい」

岩谷さんからは色々なことを教わったそう。「衣裳で数十万数百万、もしかしたら数千万の衣装を着るかもしれないんでしょう。毛皮を来て置いておけるくらいの役者になりなさい」と仰ったとか。「毛皮がだいじなわけではなくて、当時は毛皮だっただけなんですけれど、そういうようなことも教えてくださった」と玉三郎さん。

それだけ居住まいに余裕や品格のある大きな役者になりなさいということかな、と解釈しました。

 

楽しいお話の中、30分のトークショーはあっという間に終わりの時間に。
(高)「今日も歌舞伎座夜公演の前に、ありがとうございます」

(玉)「公演中はあまりこういうことしないんですけれどね」
年末まで続く公演の合間に、素敵な時間をくださったことに感謝です。年明けも1月は松竹座、2月3月は歌舞伎座、お休みが本当にないですね。どうぞお身体はお大事に…!

そうそう、登場の際は舞台近くにある下手扉からだったのですが、はける時は客席後方の観客と同じ出口から出ていらして。もしかすると、後ろのお客さんにもサービスの気持ちでそうなさったのかなと、勝手に思った昼下がりでした。中身の濃いトークショー、ありがとうございました!

おまけ