お芝居つれづれときどき音楽

歌舞伎のこと、音楽のこと、いろんなこと、気の向くままによしなしごとを。

2017年8月納涼3部 桜の森と『文学のふるさと』

安吾の「文学のふるさと」に #桜の森の満開の下 を見た後の形容しがたい感覚が描かれています。

図書カード:文学のふるさと


「私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、然、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。」

「突き放されたあとの心の全てのものを攫いとって、平凡だの当然だのというものを超躍した驚くべき厳しさで襲いかかってくることに、いわば観念の眼を閉じるような気持になるのでした。逃げるにも、逃げようがありません。それは、私達がそれに気付いたときには、どうしても組みしかれずにいられない性質のものであります。宿命などというものよりも、もっと重たい感じのする、のっぴきならぬものであります。これも亦、やっぱり我々の「ふるさと」でしょうか。」

「物語が私達に伝えてくれる宝石の冷めたさのようなものは、なにか、絶対の孤独――生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独、そのようなものではないでしょうか。」

文学のふるさと』を読んで、そうだ、あれはそういう類のものだった、そうなんだよと、誰に言うでもなく繰り返す自分がいます。演劇であり文学でした。絵画であり音楽でした。そしてすべてでした。

2017年8月納涼第2部@歌舞伎座

納涼が終わり夏が終わったところで2部の感想。 というより、夏の想い出メモ?

修善寺物語

ノーマークだった萬太郎さんの若武者ぶりがなんだか素敵。呑気なお坊様と好対称。新歌舞伎だからか立ち回りも殺陣っぽく迫力がある。猿之助さんの桂はいい色気のある女。そして勘九郎さんの義家、横顔が大変美しい。高貴なお役も似合うのですね。

姉娘の桂と夜叉王は、桂が死ぬ瞬間に初めて通じ合えたのではと。若い娘の死に顔を写し取ろうとする、職人でしかない父、苦しいながら顔をあげよと言われはっきりと顔をあげて死に様を見せる娘。なんと凄まじいのだろう。後ろで桂を支える妹は辛さに顔を背けている。そちらの方がよっぽど普通の感覚。常人には理解できぬ夜叉王の職人としての執念と、天上人に仕えて身代わりに死ぬことが本望と思う桂と。その激しい通じ合いは、普段可愛く思っている妹娘にも、弟子でもある娘婿にもできないものなのでは、と。

あの最後の場面があるからこの話は少し救われるというか…しかしすさまじい話。妻子もいる家が火事になったのを見て「これで本物の炎が描ける」と喜んだ画家の話を思い出した。調べてみたら、宇治拾遺物語の絵仏師良秀の話らしい。

http://www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_kokugo/archive/2017_kokusou_12_13.pdf

歌舞伎座捕物帖

理屈抜きにめちゃくちゃたのしい!見たのはA⇒A⇒Bでした。(ネタバレありなので、弥次喜多見てなくてシネマ歌舞伎(あるらしいとの噂)で見たい!という方は避けてくださいませ。)

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2017年8月納涼第2部 弥次喜多の差し替え狂言メモ

(14日の情報いただき追記)

納涼が終わったので弥次喜多の差し替え狂言アドリブ収集。最初はアドリブなかった気がするのですが記憶違いかも?追加情報ありましたらぜひ!

 

13日如燕さんと為三郎さんで団子売

14日如燕さんと為三郎さんで団子売(二日連続?)

17日85歳の為三郎さんに勧進帖(by座元)

19日こうちゃんとおれ(伊之助)で団子売

22日こうちゃんと如燕さんの連獅子

24日如燕さんと為三郎さんの車引

25日如燕さんと為三郎さんの三社祭

26日如燕さんの暫と為三郎さんの女暫、どっちがいい?

27日為三郎さんのワンピース、如燕さんがルフィで為三郎さんがハンコック(←差し替えるの大変すぎ(笑)如燕さん台詞覚えないって言ってる矢先!)

【日にち不明】

為三郎さんの玉兎

…………

最初は第一部の演目、玉兎と団子売から取っていた模様?出演者は如燕さんか為三郎さんか小歌か伊之助の4人。

演目が日に日にエスカレートしてますね~楽しい!

2017年8月納涼第3部「野田版 桜の森の満開の下」@歌舞伎座

(8/16:解釈と、オオアマの冒頭の拵えについて追記)

2度、「桜の森」に迷い込んできました。七之助さんが美しく恐ろしい。そして独特の不思議な世界観。ストーリーがあるようでない、ないようで有る、そんな印象。曖昧なものは曖昧なままに。強烈なものはより強烈に。

f:id:andantepresto:20170818235453j:image

これはいい席で見るべき作品なのかもしれません。1度目は幕見の4階で見てみて、いいけれど大絶賛するほどの理由はわからずに、2度目は1階席で見たところ冒頭から強い没入感。見終わった後の、どこか心が連れて行かれてしまった感覚。大絶賛の評を理解。わたしは持たぬ約束を、持っていた錯覚さえおぼえました。冒頭にあの満開の桜の花がきちんと見えるのが大きいのでしょうか。原作も読みイヤホンガイドも借りた2回目は、初見と状況は真逆ですが、そのためかというとそうでない気がします。 舞台から溢れて迫り来る世界を感じられる距離感か否かにかかっているよう。幕見で見たときは1階の十分の一も百分の一も感じるものが少ないのです。これから見るという方には、高いですが、思い切って1等をおすすめしたいです。

さて感想というより感じたことの羅列ですが、以降、ネタバレありにするので未見の方はそっ閉じで…

 

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2017年8月納涼第1部@歌舞伎座

刺青奇偶

長谷川伸さんの戯曲が好きみたいだ。一本刀土俵入もすきだった。刺青奇偶、かなしいけれど好きなお話です。どうにもならない状況で、持ち金全てを与えてくれる人がいて、というストーリーも一本刀土俵入を思い起こさせる。

玉三郎さん演出とあって、七之助さんの演技に玉三郎さんの姿が重なる瞬間がありどきりとする。教えてほしい人には間口を広く教えて継承していくという玉三郎さんの言葉が、しっかりと実現されている。

七之助さんは美しい赤姫もよいけれど、冒頭のやぶれかぶれのときや、病に倒れたあとの姿の様になりよう。薄幸な役が大変似合う。

中車さんの半太郎はいい男!博打だけが玉にキズだ、ほんとに…。あらすじだけを読んだときは、なぜそこで最後に博打に走ってしまうのか疑問だったけれど、舞台を見ると心情がわかって少し納得。きっとお仲はまだ生きてる、最後間に合ったよね、ほんとに最後の最後の瞬間かもしれないけど、安心して逝けたよね、と祈るような気持ちになる。

勘三郎さんが「歌舞伎ッタ」だったか、何かの本で、でもお仲は死んじゃっているんだよねぇという趣旨のことを書いていらして、その結末は…といたくショックだったのだけど、七之助さんはインタビューで、生きていてほしいと答えていて、親子でも少し違うんだなぁ、そして後者だと思いたい、と思いながら見ました。

http://www.kabuki-bito.jp/special/welcometokabuki/69/no1.html

これ勘三郎さん玉三郎さんコンビ+仁左衛門さんのも見たかったなぁとしみじみ。

染五郎さんの鮫の政五郎親分は、真面目そうな人物像。仁左衛門さんはまた違うタイプの親分で描く気がする、とぼんやり思った。しかし見たことがないのでただの想像。見たい…(結論はそこ)。

 

玉兎

かわいい。かわいいしか言えません。よく一人で踊りきれますなぁ。

後見の方が何かのタイミングで、勘太郎さんと目を合わせて頷いたのが見えてきゅんとしてしまう。

 

団子売

勘九郎さんと猿之助さんの素敵な舞踊。この組み合わせで楽しくないはずがない。うまい。猿之助さんの女形姿、結構好きだなぁと思い始める昨今。立ち役もいいけど、女房役の色気が似合う。仲睦まじげな様子に「ご両人」とかかる。ご両人って素敵な言葉ですねえ。

20170808 坂東玉三郎さんトークイベント@立正大学

(8/10、ふと思い出し追記)

玉三郎さんと他お二人の方々が出てこられたとき、スクリーンに隠れた仏像に向かって一礼なさっていた。見えないところでも礼儀を貫かれる姿勢。衣装はお着物でご登場。上は濃いグレー、下は薄渋緑の袴。

何だか、今回のお話は自分が受け取ったものを整理して文章にするのが難しい。魂のこと、命のこと、時間のこと、玉三郎さんの死生観のようなものも見せて頂いたと思います。言葉にできないものを形にして書いていいのか、と迷いつつ、自分の中に残すために書きます。たぶん色々違っていると思います、ごめんなさい。
そう、「濃い人生」という言葉をまた使っていらした。何か体験をしてもそれを感じる、受け取めることが薄まって流れてしまっている、という危機感がおありなのだろうか?

最近はなんでもLINEで流れてしまう、と玉三郎さんの口からLINEということばが出る衝撃(ご本人はやっていないそう)。否定はしないけれど、(テクノロジーを)うまく使えればいいけれど、今は一番混乱している、狭間のときでは、と仰っていました。

 

対談相手の妙源寺ご住職小林順光さんは玉三郎さんのご実家と守田家両方の菩提寺というご縁なのだそう。偶然同じ菩提寺で、失礼があってはいけないからと菩提寺であることを言わないでいたら、守田家の法事に出たときにお寺の寄付の太鼓?に実家のお名前があって(楡原という日本に2家しかない珍しい苗字だとか)、実は…と打ち明けたら、お義母さまも縁をよろこんでくださったそう。

菩提寺のご住職とのことで、子供の頃のエピソードなども引き出されていました。広い境内だったのでよく玉三郎さん含めた子供たちが走り回っていて、みんなハナタレなんだけど玉三郎さんだけはそんなことがなかった、とか(笑)。玉三郎さんは太らないのはなぜかとお母さまに聞いたら、食事中もお小言付きでおなか一杯になっちゃうから太らないのではと聞いた、とか。お父上(14代守田勘弥さん)は褒めない、大変厳しい方だったと玉三郎さん。養子になったときにはお父様も50代後半だったので、教えるのを急いでいたのではないかと話されていた。ただ、立役と女形だったので教わるのはもっぱら作法などで、お役はその役をたくさんやっていらっしゃる、口もきけないような大先輩に教われるよう、手配してくださっていたのだとか。
玉三郎さんにも違う厳しさがあるのでは?と水を向けられ、同意なさっていた。やさしく、もう一回やってくれる?って30回くらいと…
(30回はちょっと辛いです、先生…)

途中でお寺つながりということで道明寺の写真が2枚スライドで。大写しにされるので「(スライドを)先に行ってください」という玉三郎さん(^^)でもファン的にはじっくり見ていたいです…!

テーマに「伝承」があったので、教えることについていろいろとお話されていた。自分のやっていることをそのまま教えることはしない。そうすると(自分の)小型しかできないから。
(近い話を別の方からも聞いたことが。見本とする誰かそのものを目指してはダメ、その人のコピーにしかならず質は落ちてしまう、と。教えることを突き詰めた方がたどり着く答えなのだろうか)

それから、道を教えることができなくなったと(能の)観世宗家が仰って、なるほどそうだな、と同意されたと。だから一極集中で教えるのではなく、間口を広げて教わりたい人みんなに教えるのだそう。
(能の)風姿花伝は本来一子相伝なのだけれど、「どうぞどうぞ」と見せてくださったと。見て読めるかは別だけれど、そうしないと伝承されなくなってしまうから、と。 

(道を教える、とは、生き方を教える、というようなことでしょうか。)

小学校はじっと机についてられないので苦手だったんだけれど、お話を聞きたいと思うような先生がたくさんいて、幸せだったと。あと、中学?か高校?は休める学校を選んだらたまたまプロテスタントの学校で、舞台をしていたので「あと何日休めるから安心して休んでいいよ」と言ってくださる、そういう(おおらかなというニュアンス?)時代だった、と話されていました。

子供の頃は広間で好きに踊っていることが楽しく、人に見られて舞台に立つのとのギャップは大きい、責任ある立場で大きい舞台に立つとあの頃に帰りたいと思うこともあるそうですが、「時間を切り裂いてきてくださる」お客様にお見せするもの、という言い方をされていて、なんと激しい言葉で舞台というものをとらえていらっしゃるのだろうと、静かな中の激しさを垣間見た思いでした。

歌舞伎以外のお仕事もなさってますね、鼓童とか、と話を振られて、「1割以下です」と。歌舞伎以外の方が取り上げられる、宣伝されるから多いように感じるかもしれないけれど、と。自分から積極的に新しいことをしよう、ではなくて、お声がかかるからお引き受けする形なのだそう。お父様からも、人から声がかかる役者になりなさい、親に役をつけてもらうようではいけないと言われてきたのだとか。

翻訳ものをやったのは、お祖父様(十三代目 守田 勘彌)が翻訳ものをやられていて、お祖父様というのは話に聞くばかりの遠い存在だったのでやってみたらわかるんじゃないか、と思ったのだそう。

住職から日蓮宗のキャンペーン(と言っていいのでしょうか?)で「いのちに合掌」というのがあり、その話を水を向けられて、

心が合って、そういう形(合掌という行動)になるのでしょうね、という趣旨を言われていて、実際に合掌をすることももちろん大切なのだけれど、心の中で合掌する、というようなことを言われていたのが大変印象に残りました。大切なのは形ではなく先に心なのだと、それがあっての行動やことばなのだと言われた気がしました。以前、歌舞伎の芸の上でも、先に気持ちが合って型があるとお話をされていて、どこか似ている部分があるなあと。

ご養父は「自分は信心深くない」と口では言いつつも一番手を合わせていた、というお話を添えられていて、何だか、そういうことなのだなぁと。

ご住職曰く、合掌には先祖に手を合わせることと今ここにいる方々に手を合わせる2つあるというお話が出たときに、(僭越ながらと前置きされつつ、)巡り巡ってどちらにもなるように思います、という趣旨で玉三郎さんがお話されて、この方の中には宗教というくくりでもなく何かずっと感じて考えていらっしゃる筋のような、流れのようなものがあるんだろうなぁと思いました。

簡単に言葉では紐解けないものを見せていただいた思いでいっぱいの1時間半でした。

2016年6月@歌舞伎座

つぶやきまとめ。

昼の部

夜の部

御所五郎蔵

初回の御所五郎蔵のときに何書いてたかなって思ったけど、ほんとにろくなこと書いてない(笑)それだけ衝撃的にかっこよかったんだよなぁ…

 

一本刀土俵入

  

余談 - 席と音の聞こえ方